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日記一覧

 大国主に宗像の地をもらってからの出雲との関係はどうであったか。日本書紀本文にあるように、連絡員や人質を出雲に送っていたのである。天穂日命(あまのほひのみこと)、その子の大背飯三熊之大人(おほそびの みくまの うし)、さらに天国玉の子天稚彦

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 1回目は日本書紀本文に限定して復元してみよう。ニ二ギはどこに上陸したのか。天降ったところではない。ここは高千穂という山とのことだが、確かに支配者は山に登り国見をする慣習があったが、その国見は支配が固まってからのことになるはずである。 で、

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 アマテラスは出雲の大国主と交渉し、曲折の末、軍事力を見せつけることにより戦意を失わせて、国譲り交渉に成功して孫のニニギを王として派遣する。これが、天皇家の祖先である。古事記、日本書紀に記される有名な天皇家草創の神話である。この神話はほぼ事

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 ストレイシープとは、夏目漱石「三四郎」で、美禰子が三四郎に投げかける謎の言葉である。この言葉の出典はマタイ伝18、ルカ伝15で、羊飼いが99匹の羊を山においても、迷った羊を探しに行くように、自分イエスも、罪人にかかわるのだというエピソードである

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 こどもが小さいとき、いつもポンキッキを見ていたが、そこで歌われた歌で「こころころころ こころころ」は、心にひびいた。ネットで調べてみると、作詞つかこうへい、作曲みなみこうせつというビッグネームの人々の作った歌であった。 昔のことわざで、「

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 鎌倉右大臣(源実朝)「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟のつなでかなしも」の歌は、子供のころ家族で百人一首のカルタ取りをしていたとき、いつも噴き出す歌であった。「つねにもがもな」で舌がもつれるのである。 この歌はむろんおかし

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 中 勘助「銀の匙」は、子供の心をそのままに描いたと定評がある。病弱であまえん坊の子供時代に、伯母さんにつきっきりで育てられた時のそのありのままの様子である。伯母さんは身寄りがなく著者の家に頼っている人で、かわいがっていた勘助の上の兄が死ん

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 サンテクジュ=ペリや大江健三郎が変なこどもだったことは、前に書いた。では、他の作家はどうなのか。まず、間違いなく変なこどもだったルナアル「にんじん」をみてみよう。 にんじんとは、髪の毛が赤いことから家族に呼ばれているあだ名であるが、性格が

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 サン=テクジュペリ「星の王子様」は、小さい星に一人住んでいると思い、いつも会話するのは一本のバラの花で、これが気位が高く注文が多いので世話が大変である。庭には小さい三つの盛り土があり、これを火山に見立て、そのうちの一つは死火山だそうである

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 古田武彦「古代史の十字路 万葉批判」東洋書林 には、持統天皇の「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」を実証的に分析して、これが奈良の香具山ではありえないと結論付けている。というのも、持統天皇のいた藤原の宮から香具山まで1キロで

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 常陸国風土記によれば、富士山は神祖(みおや)の尊が訪ねてきたのに、忙しいと言って門前払い。それに対して、筑波山は歓迎の宴を開いてくれた。それ以来、富士山には年中雪が降り人も登らないようにされ、筑波山にはいつも人のおとづれが絶えず、栄えるこ

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 「あしながおじさん」の世話で女子大学に入学し、寮で暮らすこととなったジュディが、休暇期間にジョン・グリーア院に帰りたくないとあしながおじさんに訴える。結局、あしながおじさんとは、ボーイフレンドのジャービー坊っちゃん(master jervie)だと分

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 この慣用句も今は死語になったのでないだろうか。今は見ることもなくなった。古語辞典によれば、他人を出し抜いて素早く利益を得るたとえとある。例文として、東海道中膝栗毛が引用されていた。 私が知っていたのは、都会へ出てきた田舎の人が、ここは生き

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 賢治は心霊現象を信じていた。信仰を深めることによる超能力も信じていた。これは賢治の友人の回想にあることである。 とし子の死後、とし子からの通信を賢治は待っていた。なぜ来ないのか、賢治は不審がっている。6月3日付「風林」では「ひときれのおま

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 死に際して、とし子が何か遺言したはずだと思うのだが、どうだろうか。確かに、父には、また人となって社会に貢献すると言っている。では、賢治にはないのか。ないはずがない。 賢治の場合は、父には、「自分の童話や詩に何の価値もない。それは捨てて法華

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 スイスはアルピニズムや観光業、それに精密工業が盛んになるまでは、山だけで耕地のない貧乏国だった。最大の産業は勇猛果敢な傭兵隊であった。他に仕事がないので勇猛になるはずだ。 しかし、最大の被害者は子供である。リザ・テツナー「黒い兄弟」は、金

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 詩「無声慟哭」に、とし子が「おら おかないふうしてらべ」とか「それでもからだくさえがべ?」と、母に聞く場面がある。これは、母に甘えているのだ、と解釈されている。むろん、その都度、母は否定する。賢治も心の中ではあるが、強く否定する。「どうか

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 集英社文庫版松本侑子訳「赤毛のアン」では、ロバート・ブラウニングの詩が巻頭に置かれ、最終行も「神は天にあり、この世はすべてよし」で終わっている。であれば、ブラウニングにもっと注目すべきだった。 最後の詩は、上田敏「海潮音」に掲載され教科書

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 9月18日付「東岩手火山」では、賢治は農学校の生徒たちを引率して岩手山頂上の火口にいる。時間は朝の3時40分で、後40分で日の出である。賢治は落ち着かず、闇の中を生徒たちの様子を見たり、話しかけたりしながら、火口の縁を歩いている。 この詩の主役

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 子供のときは、何といっても「西遊記」の孫悟空だった。印を切ればきんと雲が来るかと思ったこともある。最初、石猿の仙術使い孫悟空は天界に反抗して暴れまわったために、困った天帝がお釈迦さまに頼んで監禁してもらうのであるが、三蔵法師の天竺行きを助

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言葉(8)  対句の力
2011年01月09日11:16

 昔の名句は対句になっていることが多いのでないか。その方が、覚えやすいし。 ということで、論語巻頭の「学びてこれを習う・・・朋あり遠方より来る・・・人知らずしてうらみず」も対句なのでなかろうか。普通は、習うを復習と解している。学習とは先生か

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 江戸時代は武士の時代であり、京の天皇のことなど一般庶民は知らなかった。明治維新で藩閥政府が天皇を復権させたのは、自身の権威の源泉を作る必要があったからである。という説が昔の進歩主義史観の定説だった。 しかし、この説は実態がどうだったか調べ

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 昨日、たまたま「千と千尋の神隠し」を見ていたら、銭婆の場面だった。この大きな顔、双子の姉の湯婆婆も同じくで、思い出した。「不思議の国のアリス」のトランプの女王もそうだったのでないかと思ったのだが、むしろ、グロテスクに書かれているのは侯爵夫

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 ローリングズ「ハリー・ポッター」の面白さは、まず、多彩なキャラクターや小道具たちにあるのでないだろうか。パリーの保護者で巨人族と人間の混血児ハグリッド、そのペットの竜、誇り高いケンタウロス、暴れる木、小人やゴブリンたち。おかしな菓子や動く

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 レオポール・ショヴォ「年をへたワニの話」は、ずいぶん無残な話である。一応、絵本なのだが、まさか幼児向けでも子供向けでもあるまい。 経済学者の西部邁のエッセイで、安保闘争の指導者だった唐牛健太郎に勧められた、と書いていたので読んだのだが。そ

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 チャールズ・シュルツ「ピーナッツ」の面白さは、登場人物のキャラクターがもたらす思想的な広がりにある。チャーリー・ブラウンはリーダーを自認するが、実際は目立たないまとめ役、ライナスはイノセントな哲学者、シュレーダーは音楽家、それにスヌーピー

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 死をのりこえようともがく人がいる。エミリ・ブロンテ「嵐が丘」のヒ−スクリフは、愛するキャサリンが自分の出奔中に死んだというので、キャサリンの兄弟、その夫、娘、自身の妻や息子を含む関係者一同に復讐する物語である。キャサリンの死に何の責任もな

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 先に、詩「春と修羅」にでてくる喪神とは死神のことと述べた。その根拠を少し固めたい。 第1詩集「春と修羅」には、全部で4か所に現れる。 9月27日付「東岩手火山」冒頭に、「月は水銀、後夜の喪主」とある。後夜とは、夜半から夜明け前までのこと。ま

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 古い習慣であるが、神仏に何かを願うときは、水垢離をしたり、お百度参りをしたり、何か好きなものを断ったりして願をかけたものであった。 賢治はあてもなく冬の山道を歩きまわっている。何かを願っているのでないのか。それが、魔法のランプを手に入れる

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 先の「賢治ととし子」で書きもらしたことを補っていく。 「春と修羅」の最初は、1月6日付の「屈折率」と「くらかけの雪」である。この二つの詩は一連のもので、賢治は小岩井農場へ向かっているのである。5月21日付の「小岩井農場」には、冬にここへ来た

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