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2011年01月08日15:33

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小説の中の謎(55)  大顔キャラクターの関門

 昨日、たまたま「千と千尋の神隠し」を見ていたら、銭婆の場面だった。この大きな顔、双子の姉の湯婆婆も同じくで、思い出した。「不思議の国のアリス」のトランプの女王もそうだったのでないかと思ったのだが、むしろ、グロテスクに書かれているのは侯爵夫人だった。
 これら4人の女性たちは存在感と性格の悪さできわだっている。そのキャラクターを絵にすれば大顔になるのかもしれない。
 「千と千尋」の思想は、他の存在に対する寛容であること、それが不可解な存在であってもそうであるべきことなのだろうか。一見、気味わるい爬虫類や軟体生物はもちろん、超現実的存在に対しても。確かに、私は理解できない人に対しては、まず、警戒心を持つ。子供にもそう教える。
 「隣は何をする人ぞ」の句も、今では、警戒信号になっている。江戸時代には、むしろ人恋しさ、他者が何をしているのか気になる、無関心ではいられない、という気持ちが詠まれていたと思うが。
 試練を潜り抜けた千尋は、エコロジー社会のヒロインなのだろう。
 「アリス」もまた理解できないキャラクターに次々と出会う。立場が違えば逆に見えるというのは序の口であった。かわいいアリスも卵を食べるというので、小鳥から見れば蛇と同じである。
 青虫に何者だと問われて、答えられないことに気づいて驚く。
 帽子屋と三月ウサギのティーパーティーではもはや論理の外へ出てしまう。
 論理的混乱を潜り抜けたアリスは、最後の裁判の場で、圧制者である女王に対抗して、堂々とトランプのジャックを弁護する。
 そういう意味では、「アリス」は、王様とも対抗する裁判社会欧米のヒロインである。
 
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