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2011年01月16日12:40

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小説の中の謎(57)  赤毛のアンの前歴

 集英社文庫版松本侑子訳「赤毛のアン」では、ロバート・ブラウニングの詩が巻頭に置かれ、最終行も「神は天にあり、この世はすべてよし」で終わっている。であれば、ブラウニングにもっと注目すべきだった。
 最後の詩は、上田敏「海潮音」に掲載され教科書でもおなじみであるが、独立した詩ではなく、「ピッパが通る」という劇詩のなかのピッパのうたう歌であった。ピッパはイタリアの女工で、孤児の少女である。この劇詩は、1年に1日だけの休みの日を過ごしたピッパの1日を描いている。
 アンもまた孤児で、グリーン・ゲイブルスの前は、もの心ついて以来の子守女であった。バッジ・ウイルソン「こんにちはアン」(原題before green gables)では、グリーン・ゲイブルスに子供はいないと知り、これで子供になれると喜ぶ。つまり、「五木の子守唄」なのだが、違うのはみじめの状況を嘆くのでなく空想の世界で切り抜けていたことと、帰る家がなかったことであろう。
 「ピッパが通る」は、休日の朝、のぼってくるお日様に話しかけるところから始まる(ネットのpippa passes氏訳による)。アンもまた、グリーン・ゲイブルスの翌朝、外の木々を賛美する。どちらも逆境にあるにもかかわらず、神の作った世界をたたえているのである。
 つまり、「赤毛のアン」1908年 は「ピッパが通る」1841年 の枠組みを借りて書かれたに違いない。「ピッパ」が書かれたときには、少年というより幼年労働が社会問題になっていた。ディケンズ「オリバーツイスト」が1837年である。
 「アン」は、カナダ農村の生活を描いているだけでなく、当時の少年労働をも描いていたのである。
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