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2011年01月16日23:17

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賢治の動機(7)  オカルトの賢治

 賢治は心霊現象を信じていた。信仰を深めることによる超能力も信じていた。これは賢治の友人の回想にあることである。
 とし子の死後、とし子からの通信を賢治は待っていた。なぜ来ないのか、賢治は不審がっている。6月3日付「風林」では「ひときれのおまえから通信が/・・・とどいただけだ」と、不満なのだ。平安時代には、夢は相手から来るものと信じられていたが、賢治の心理も同じらしい。
 6月4日付「白い鳥」では、とし子は鳥になって賢治のもとにやってくる。しかも、二羽で。修羅の兄を悲しんで鳴くというのである。とし子は、また人間に生まれてくると遺言したはずなのに、なぜそんなことになるのか。つまり、とし子は賢治の修羅の業により、人となることができないのだ。それを訴えに賢治のもとにやってくるのである。しかも、連れあいまで連れて。
 この賢治のプロファイルが把握できないと、賢治の詩が何を言っているのか永遠に分からないに違いない。宗教に深い理解を示す思想家たちは、その中の思想に共鳴、触発されているのであって、イエスや釈迦の奇跡などを信じているわけではない。もしそんなことなら、その思想家は日本では、少なくとも知識階級の間では信用を失っていたであろう。
 しかし、賢治は本気で心霊現象を信じていた。だからこそ、自分の力でとし子を治せると信じていたし、それが叶わぬと悟った時、「・・・じぶんにすくうちからをうしなったとき/いもうとをもうしなった」と言えた。これは激しい挫折の告白である。賢治は本気で信じ、そしてその力を仏から許されていないことを本気で信じたのである。修羅だからだ。修羅と言うのは、詩的比喩ではない。
 賢治を理解するには、文学と宗教の理解に加えて、オカルトをも認知しておかねばならない。
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