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2011年01月04日09:24

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賢治の動機(3)  喪神とは

 先に、詩「春と修羅」にでてくる喪神とは死神のことと述べた。その根拠を少し固めたい。
 第1詩集「春と修羅」には、全部で4か所に現れる。
 9月27日付「東岩手火山」冒頭に、「月は水銀、後夜の喪主」とある。後夜とは、夜半から夜明け前までのこと。また、東がついているが、岩手山のことである。これと、ほぼ1年後の、10月28日付「溶岩流」冒頭に、「喪神のしろいかがみが/薬師火口のいただきにかかり」とある。この溶岩流は岩手山麓の東側にある。
 このとし子の死をはさむ二つの詩の冒頭をつなげば、月=喪主=喪神となり、喪神とは葬式の神、すなわち死神と意識されていたとみてよいのでないか。
 5月12日付「風景」には、「風は青い喪神をふき/黄金の草ゆするゆする」とある。この詩の前後には、花巻農学校での春の農作業をモチーフとした詩が並んでいる。したがって、この喪神は冬のなごりのことで、春の風に吹かれて消えかかっている場面であろう。
 9月16日付「昴」には「東京はいま生きるか死ぬかの境なのだ/見たまえこの電車だって/軌道から青い火花をあげ/もうサソリかドラゴかもわからず/一心に走っているのだ/ (豆ばたけのその喪神のあざやかさ)」とある。ここでは、関東大震災の惨事が背景としてあり、電車のスピードに賢治の危機意識がかきたてられて、喪神が窓から見える豆畑に現れてくる。
 すなわち、「風景」と「昴」の喪神も死が意識されているとみてよいのでなかろうか。

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