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2011年01月09日22:20

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小説の中の謎(56)  孫悟空の運命

 子供のときは、何といっても「西遊記」の孫悟空だった。印を切ればきんと雲が来るかと思ったこともある。最初、石猿の仙術使い孫悟空は天界に反抗して暴れまわったために、困った天帝がお釈迦さまに頼んで監禁してもらうのであるが、三蔵法師の天竺行きを助ける条件で解放される。天竺への道中にまっている、仙術を持つ妖怪(孫悟空と同様修業した牛やむかで)を、南海の観世音菩薩の助けを借りながら降参させていく物語である。
 だいぶ後になってからだが、「封神演義」を読んで、おやおやと思った。これは、殷から周への易姓革命時代を借りて、仙人たちの内部抗争を描いた物語である。仙人にも、人間からなるものと、動物や石などからなるものがあり、仙人が過剰になってしまった。そこで、人間仙人が動物仙人たちを殺して一段くらいの低い神にしてしまうために起こした戦い、それもかなり奇想天外な戦いの物語である。
 「封神演義」だと孫悟空は殺されて神にされてしまうことになる。西遊記の妖怪たちと立場は変わらないのだ。
 二つの物語の間には、それこそ革命が起きている。中国の本来の信仰は仙人たちを、日本でいえば八百万の神々とする道教であった。それを一時期、インドから来た仏教が皇帝の権力で国教となっていたのである。「西遊記」でも、仙人の力は強い。しかし、お釈迦さまや観世音菩薩は、仙人からも敬意をはらわれている。鎮元大仙は人参果の木を倒した孫悟空たちをあっさりとらえてしまう。孫悟空といえども人間仙人である大仙の敵ではなかった、ということだ。結局、観世音菩薩に人参果の木を生き返らせてもらって大仙に許してもらうことになる。
 お釈迦さまを最高とする「西遊記」でも、人間仙人の力を認めざるを得なかった。道教の根強い力である。孔子様も「怪力乱神を語らず」と言って、「触らぬ神に祟りなし」なのだ。
 しかしである。孫悟空は猿というよりはもともと石なのだ。石はそれ自体不老不死である。石器時代には、巨石は神とあがめられた。日本では今でもそうである。「さざれ石の、巌となりて」である。ににぎの尊は岩長姫を嫌い木の花の咲くや姫と結婚したために、人生50年となってしまったのである。本来、石の神様は修業しなくてもよかった。それ自体で仙人なのだ。
 それが、「西遊記」では修業しないと不老不死ではないとされ、「封神演義」では人間仙人から殺される羽目になってしまった。
 しかし、日本に亡命した孫悟空はドラゴンボールで健在である。
 
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