先の「賢治ととし子」で書きもらしたことを補っていく。
「春と修羅」の最初は、1月6日付の「屈折率」と「くらかけの雪」である。この二つの詩は一連のもので、賢治は小岩井農場へ向かっているのである。5月21日付の「小岩井農場」には、冬にここへ来たとあるが、その時には目的を達しなかったのである。
「屈折率」には、「陰気な郵便脚夫のやうに/ (またアラツデイン 洋燈とり)/急がなければならないのか」という、いささか元気のないつぶやきで終わる。これが冒頭に置かれているというのは不審である。次の「くらかけの雪」には、「ほのかなのぞみを送るのは/くらかけ山のゆきばかり」で、薄日はさしたかに見えるが、はりきって詩作をはじめたようにはみえない。1年の初めの、しかも「春と修羅」としてまとめることになる詩集の冒頭らしくない。
これでは、しぶしぶ詩を書き始めたように見える。
ただ、注目すべきは、(アラデイン 洋燈とり)と、言っていることである。すべべての望みをかなえる魔神のいるランプ。
賢治はそれがほしかった。しかし、見込みはあまりなかった、ということだろうか。
三番目の詩で1月9日付「日輪と太一」では、毛布の赤いズボンをはいて出直しの決意を述べる。一つ置いた 12日付「カーバイト倉庫」でも、夜の雪山をさまよって街だと思って降りてきたが、カーバイト倉庫にがっかりして、つめたい電燈の下にで休んでいる。
・・・いったい賢治は何をしているのか。
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