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2011年01月26日11:42

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こどもの心(1)  にんじんの心

 サンテクジュ=ペリや大江健三郎が変なこどもだったことは、前に書いた。では、他の作家はどうなのか。まず、間違いなく変なこどもだったルナアル「にんじん」をみてみよう。
 にんじんとは、髪の毛が赤いことから家族に呼ばれているあだ名であるが、性格が変だと思われていることもそう言われる原因であった。
 そう思われたのは、一つには、気を使い過ぎて、気持ちがすれ違ってしまうせいでもあるらしい。にんじんがラッパを欲しがっていたのに気がついていた父親がお土産を買ってきた。中身を言わずに、何がほしい、と父に聞かれたにんじんは、ラッパが欲しかったが、こどもというものはピストルを欲しがるのでないか、そう期待されているのでないかと気をまわしてしまった。父親をがっかりさせて、結局、機嫌を損ねた父からラッパももらえなかったのであった。
 また、年取った女中の手助けをしようとして鍋をかまどから動かしたところ、実は目がよく見えなくなって習慣に従って家事をしていた女中が、鍋に水を入れようとしてかまどに入れてしまった。結局、目が見えないことが暴露されて解雇されてしまったのである。にんじんは自分のせいだということが分かり、母から叱られるのでないかという心配で、黙っていたのであった。
 また、もぐらを見つけておもちゃにした挙句殺そうとしたがなかなか死なず、決死の形相で石の上にたたき付け続けたりした。残忍なところがあることを家族は知っていて、猟でとってきた鳥が死んでいないのを殺すのはにんじんの役目であった。本当は嫌なのだが、そう言えず、首を絞めたがなかなか死なないので、とうとう頭を踏みつぶし、残忍さを実証してしまった。
 にんじんが人の心を読み過ぎて失敗するのは、実は母親の言うことが、にんじんの期待といつも逆をつくせいでもある。無意識にそうしているようである。これは、当然いじめだし、あだ名自体もいじめである。欧米では髪の毛の赤い人は性格が悪いとされているので、家族が、まして母親がそう呼ぶのは考えられないのである。赤毛のアンが髪の色を嫌がる理由であった。
 しかし、にんじんはあまり気にしていないようである。いわば、「鈍感力」なのだ。だから、ますますふてぶてしくかわいげがないと思われる。訳者の岸田国士のよれば、ルナアルの子供時代がそのまま写されているとのこと。岸田は、「また、それにもかかわらず、すべて伸び育つものは伸び育ち、・・・一個の未来ある生命の威厳を示している」と評している。
 
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