この慣用句も今は死語になったのでないだろうか。今は見ることもなくなった。古語辞典によれば、他人を出し抜いて素早く利益を得るたとえとある。例文として、東海道中膝栗毛が引用されていた。
私が知っていたのは、都会へ出てきた田舎の人が、ここは生き馬の目を抜く人がいるから気をつけろ、というような忠告をされる場面だったと思う。
江戸時代はもちろん昭和の高度成長期までは、東京や大阪など大都会と地方の生活態度の差は大きかった。だからこそ、この慣用句をつかって忠告する場面もあったし、野心的な青年は自分がやってやると、励みにしたのであろう。
しかし、今は、日本全国どこでもそうなってしまった。生まれた時から、目を抜かれないように気をつけていなければならない。年をとれば、オレオレたちに、たよりの財産を抜かれないように・・・一生そのなかで暮らしている。
こんな言葉こそ、背景を失って死語になればよいのだが、あたりまえになってなのだからよいことではない。
豊かになった代償か。いまは意識的に気持ちのゆとりを作らねばならない。自分自身をみてそう思う。
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