mixiユーザー(id:34218852)

日記一覧

 モーパッサンの「女の一生」は、夫という運命に従った女性の悲劇である。ただし、この類型は、今は昔になっているだろう。ところで、樋口一葉の「たけくらべ」もそうなのだろうか。吉原遊郭の遊女という運命軌道にのる直前で終わっていると。確かに、そう習

続きを読む

 分からないと言えば、川端康成も分からない。「伊豆の踊子」や「雪国」の意味は何なのだろうか。そもそもストーリーに意味があるのか。夕立が追いかけてくるだとか、夜の底が白くなったなどの、新感覚の描写があるだけではなかろうか。 確かに、ストーリー

続きを読む

 名前は忘れたが神殿から、ギリシャ第一の知恵者との託宣をうけたソクラテスは、なぜ何も知らない私が、・・・と考えた末、何も知らないということを知っているからだ、との結論を得た。 さすがソクラテス・・・とは素直には言えない。囲碁や将棋の名人が、

続きを読む

 このシリーズでは、ある程度解けたと思った謎を紹介しているのであるが、まったく不可解な小説もある。村上春樹など、ノーベル賞候補と言われている作家の小説が、何の事だかさっぱりわからない。「海辺のカフカ」はいったいなんなのか。四国の森や血まみれ

続きを読む

 森鴎外「阿部一族」の印象は、いったいどうして一族滅亡の連鎖反応を止められなかったのか、ということだった。一族の当主はでくのぼうなのか。最初の当主も、二番手の当主も。そろいもそろって。 もっともギリシャ悲劇でも、「オイデプス王」など、予言の

続きを読む

 昔読んだアンデルセンの自伝には、ある友人から、「なぜ悲しい話を書くのか、少し変えればみんな幸せになれるのに」と言われて、呆れてしまったとあった。私も悲劇嫌いであったが、アンデルセンが正しい、「君の名は」のファンや、なんでもハッピーエンドに

続きを読む

 今日、ブックオフへ行って、井上文勝著「千の風になって 紙袋に書かれた詩」ポプラ社2010.2 を見つけて驚いた。作者不明の詩とされていた「千の風になって」の作者は、マリー・E・フライというアメリカ人の女性で、ドイツにいる母を亡くし、葬儀に行けな

続きを読む

 周りは真っ暗な水田である。向こうに灯りが見える。今晩泊る農家らしい。子供の私は、行商をしている母の後ろについて畦道を歩いている。蛙の声が、天に響いている。  雪が降っている。泊めてもらった農家で待っていればよかった、という母の文句を聴きな

続きを読む

 私は、アパートの狭い部屋の中にいる。友達が外にいて、中と外でテニスをしている。私の打ち返したボールが、大きく外へ飛び出した時に気がついたのだが、・・・窓が閉まっている。ボールは窓ガラスをすり抜けて出たり入ったりしているのだ。・・・テニスと

続きを読む

 ゲーテの戯曲「ファウスト」では、主人公のファウスト博士は悪魔メフィストフェレスと契約して悪魔の力を得る。ファウストは万能の天才学者であるが、生涯の研究の成果にむなしさを覚え、自殺を図ろうとする。そこに現れたメフィストは、人生は緑である、研

続きを読む

 シャーロック・ホームズの生みの親コナン・ドイルは、医者でもある科学者なのであるが、同時に、超常現象をも信じていた。超常現象とは、霊媒師がカードの裏を読んだり、手を触れず物体を異動させたりする科学では説明のつかない現象であるが、ドイルの生き

続きを読む

 小説「氷点」は、キリスト教作家、三浦綾子のデビュー作である。 ヒロインの陽子は、養母から猛烈ないじめをうけて育つが、太陽のようにいじめを溶かしてしまう天分を持っている。しかし、養母から、彼女の実父が養父母にした許されぬ罪を告げられ、自殺を

続きを読む

 「地の塩となれ、塩もしその味を失わば、何をもってかこれに塩せん・・・」。これは、マタイ伝によるイエスの言葉である。 これを、浅はかに読めば、造物主であるなら塩味を戻すことなど造作もないはず。やはり、イエスは神ではなかった、自身を神とは考え

続きを読む

 新井満が作曲した原作者不明の詩の説くところでは、たましいは千の風になる。墓の前で悲しまないでください、とある。 新井満は、詩の中のアニミズム的な発想や、よく知られている地域からいって、原作者はアメリカのネイティブ、つまりアメリカ・インディ

続きを読む

 さて、究極の問いである。 一体、法華経と日蓮宗に対する信仰は賢治ととし子のどちらが主導したのだろうか。むろん、定説は賢治である。賢治が盛岡中学の5年生のとき、父に寄贈されてきた法華経を読んで、魂が震えるほど感動した、とは本人が言っているこ

続きを読む

 とし子は賢治の創作に、積極的な役割を果たしたのかどうなのか、このことが問いなのである。そろそろ、不十分でも結論を出さねばならない。 詩集「春と修羅」が、とし子の懺悔と信仰告白の書である「自省録」に触発されたものであることは間違いないと思う

続きを読む

マリアの嘆きと弱い神
2010年11月14日17:03

 イエスの処刑を見守り、十字架から降ろされた遺体を抱くマリアの悲しみは、ピエタ像として広く知られている。マリアの姿は、身に覚えのない受胎告知の驚き(ふつうは、恥の子である。・・・今はそうでもないか)、馬小屋での誕生の喜び、そしてピエタの悲し

続きを読む

 森田公一「青春時代」は、阿久悠の作詞で、「青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり」と歌っている。青春は若さ、楽しさなどばかりではない、ということがズバリ表現されて、多くの若者の共感を呼んだ。しかし、いかにも後ろ向きの感性である。 「トム

続きを読む

 「青によし 奈良に都は 咲く花の におうがごとく 今盛りなり」 この花は、梅だろうか。奈良の都の繁栄ぶりをうたった和歌である。 「いにしえの 奈良の都の 八重桜 今日九重に においぬるかな」 すでに、奈良の都はいにしえである。都は平安京に

続きを読む

 「花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世に降る ながめせしまに」小野小町の年をとる嘆きの和歌である。古代から現在に、そしていつまでも、共感される歌であろう。しかし、年をとることは宿命である。嘆いてばかりもいられないだろう。 そこで、

続きを読む

 ジェームス・ケインの小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」とは、何のことであろう。無職、住所不定の青年が、食堂の主人の若い妻と一緒になるために、住み込みで雇ってくれた主人を殺して起きる事件の物語である。その犯罪をけしかけるのは女であった。 こ

続きを読む

 詩集「春と修羅」はなぜ書かれたのだろうか。これまでの検討の指し示すところは、仏(釈迦)の許しを求める懺悔と祈りなのではないか。  すでに、とし子は、女学校時代の音楽教師への大胆な求愛を反省した自省録を書いている。 春と修羅は、とし子自省録

続きを読む

 スチーブンソンの「宝島」のジョン・シルバー、マーク・トゥエインの「トム・ソーヤーの冒険」のインジャン・ジョーは、鮮烈な印象を与える極悪人である。ジョン・シルバーの快活にして冷酷という二面性、先の見える目をもった悪人は、善人の行動にも通じる

続きを読む

 「ユリシーズ」「若き芸術家の肖像」の作者、ジェイムズ・ジョイスと、「道程」の詩人にして彫刻家の高村光太郎の出会いは・・・なかった。残念。二人のパリ滞在期間が数年ずれていたのである。ジョイスは、1903年で短期間、光太郎は、1906年から1909年にか

続きを読む

 アルベール・カミュの「異邦人」は作者の仕掛けた謎に満ちている。フランス植民地時代のアルジェリアで、フランス人ムルソーが現地人を殺害した事件の経過をたんたんと扱っている。ムルソーの友人の愛人関係のもつれが背景にあり、現地人がムルソーを襲おう

続きを読む

 「月落ち烏啼いて霜天に満つ」で始まり、「夜半の鐘声客船に到る」で終わる「楓橋夜泊」は、日本でも一番といってよいほど有名な唐詩であろう。 この一行目は、空が白んでくる夜明けの情景といってよいであろう。しかし、4行目では、夜中であるとなってい

続きを読む

 小説の中には、作者が素知らぬ顔で仕込んだ謎があるのでないか。ジーン・ウェブスター作の「あしながおじさん」の中の、次の部分もそうなのではないだろうか。 1年生のジューディの授業で、詩の問題が出た。 「私はほかのものを要求しなかった。/ほかの

続きを読む

 賢治が死を迎えた時、それは実りの秋であり、祭りばやしを聴きながらの死であった。父とも和解した。思い残すことはなかったに違いない。賢治は死の前に、「雨にも負けず・・・みんなにでくのぼうといわれ」とうたっている。賢治はすでに修羅ではなく、争う

続きを読む

 賢治は1927年6月付で、ある女と1年間夫婦であったこと、その夏に、村娘から二十銭で買った花が、二円で売れたといって妻が喜んだが、冬には1日の病気で苦しまずに死んだという詩「わたくしどもは」を書いている。状況からいって、この妻はとし子のこ

続きを読む

 第2集の「北上川はけいきをながし」において、元気なころのとし子と賢治の会話が活写されている。 土手を散歩している二人は、かわせみを見つける。賢治はさっそく、ミチアと呼びかける。「なによミチアって」、とし子の詰問にミの字、チの字の意味をそれ

続きを読む