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日記一覧

 私は退職後の終の棲家を常磐線の土浦に決めた。土浦は東京発土浦行きもある。これ以上だと水戸発になるのでギリギリである。 霞ケ浦の港町でもあり、駅の東側は霞ケ浦になる。 ヨットのたまり場もあってシャレた感じがするし、今は観光用だが沖には帆引き

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 1.石川啄木記念館 2.宮沢賢治記念館 今は昔だが、盛岡の近くの石川啄木記念館(渋民村)と宮沢賢治記念館(花巻)に行ったことがある。両者の規模が全く違った。啄木の方は、一室に展示品が並んでいて、隣に啄木が教員をしていた小学校が移設されて、

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 1枚目 天川村遠望 2枚目 洞川市街   ネットから 学生の時の現地実習のような見学のようなことで、奈良県の林業と観光の(修験道の聖地)天川村へ行ったことがある。奈良県と言っても盆地ではなく紀の川の南、吉野の山のまだ南の山の中だった。 め

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 瀬戸内の福山市から山陰の松江に向かうには中国山地を横断することになる。中国山地の本来の林は照葉樹だったらしいのだが、大量にたたら製鉄に使って、しかも元々やせた土だったので、後は赤松しか生えなかった。で、行けども行けども赤松林である。50年前

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 昔、職場の旅行だった。別所温泉で1泊したのだと思う。  小布施の豪商の高井鴻山が北斎を招いて最晩年の北斎に龍の画を描かせた。 栗の名産地でもある。ということで、北斎の天井画をみて、モンブランか何かを土産にした。 別所温泉駅のそばに北向観音

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 1枚目 吉祥天女像 京都市内から奈良県境にある浄瑠璃寺に向かう途中の山寺の説明によると、この辺りは前の戦争で焼かれたとのことだった。しかし、大平洋戦争で米軍は京都も奈良も爆撃していないのに、こんな田舎をと思っていると、この前の戦争とは応仁

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 1枚目 湯村温泉の夢千代像 ヒョーゴ・アーカイブズのブログ 2枚目 余部鉄橋 高さ41メートル  ウィキより 湯村温泉はやたらに高い余部(あまるべ)鉄橋の近くにある。(山陰線は山から山へのトンネルが多く、山から次の山の間が高い鉄橋になったの

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 信長の城・安土城は近江八幡のすぐ北になる。琵琶湖の港町・近江八幡は近江商人の一大拠点だったが(メンソレの近江兄弟社も)、悲劇の武将・豊臣秀次の城があった。秀吉の姉の息子で、子供が生まれなかった秀吉が後継者に指名したのだが、茶々(信長の妹お

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 1968年1月 東大紛争 東大医学部助手共闘、そして東大安田講堂占拠事件事件。1968年5月 フランスの五月革命、パリの新左翼による一斉蜂起から、翌月の議会選挙でのド・ゴール政権への支持が判明して急速に鎮静化。 1968年 アメリカ人ジェームズ・クネ

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10月31日 前夜祭の万霊節(ハロウィーン) チャ−ルズ・シュルツの漫画で、ルーシーの弟のライナスはかぼちゃ大王が大好きだった。 万聖節11月1日(キリスト教の諸聖人の日) 12月24日 前夜祭のサンタ・クロースのプレゼントの夜 12月25日 クリスマ

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 今日9月23日は秋分の日の秋彼岸。で、かみさんは実家(今はない)のあった松戸の墓参りに叔母(かみさんの母の妹)とその娘(従妹)と一緒に行ってきた。 で、その叔母の昔話。 その日が終戦の日になったわけだが、叔母が昼ご飯は何だろうと居間のちゃぶ

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 江戸時代末期の出島の医師であり、鳴滝の医学塾全国から集めた青年に医学を授けたドイツ人フィリップ・フォン・シーボルト(オランダ人を名乗っていたが)の本当の狙いは日本の植物を収集することだった。 ドイツの貴族シーボルト家は大学教授など秀才を輩

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 加藤周一「二十世紀の自画像」ちくま新書2005 著者は1919年(大正8)生、東京大学医学部卒、医師、作家。 著者は20世紀の出来事を、科学技術の発達、戦争の世紀、映画など大衆文化の時代などと特徴づける。これは著者のオリジナルではなく、一般的に言わ

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 これは、辻田真佐憲「戦前の正体」講談社現代新書 の紹介記事である。「新しい戦前」とか「戦前回帰」という表現をメディアやSNSで見かけるが、戦前への誤解があるようだ。 明治維新は中世(徳川幕府)をキャンセルし、古事記や日本書紀の神話から大日本

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 柳田国男は「妹の力」を提唱した。当時、内閣書記官長(今の官房長官)だった柳田が古い裁判記録で見つけたとのことだが、何人かの男兄弟が末の妹の命令に従って、住民たちに乱暴を働いていたという事件に基づいている。妹には兄を操る力があるとの主張であ

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 敗戦の年に生まれて、戦後を生きて来た私としては個人生活でも社会人としても見るべきほどのことは見たし、見たくないことも見た。  1、平知盛「見るべきほどのことは見つ。今は自害せん」 これが「平家物語」の作者とされる信濃前司行長の執筆の方針だ

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 主人公は作家の分身であることが多いので、作品論は作家論に繋がらざるを得ない。 1.二人の作家が幼馴染で、それぞれに自伝的な作品を書いている場合には相互補完的になる。 トルーマン・カポーテ「遠い声 遠い部屋(other voices,other rooms)」とハ

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 かみさんが、むかし土浦市の着付け文化教室に通っていた時のこと。 着物がたくさんいるとこぼしていた女性の娘はマンガ家になった(ネットで調べたら岡野玲子となっていた)。 どのような伝手があったのか、住井すゑ( 元々奈良県の人で「橋のない川」の

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 一帯はシルクロードで一路は太平洋の海路のことらしい。 世界のすべての陸と海の道はローマならぬ北京に通じるべきとの願望宣言である。 中国の歴代王朝は大陸で盛衰していたが、明の第2代・永楽帝だけは大船団を東南アジアからインド・アフリカにかけて

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 私の若いころは、日本の代名詞はフジヤマとゲイシャ・ガールだった。その頃に、その評価をどう思っていたか忘れたが、いずれにしろ、良い評価ではないが、他にないようなので仕方がないと感じていたに違いない(湯川博士のノーベル賞が唯一の例外だった)。

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 丸山真男は「超国家主義の論理と心理」雑誌「世界」1946年 で、ニュルンベルク裁判で笑い飛ばすゲーリングと東京裁判で泣く被告を対比させ、日本の戦争指導者の当事者意識がなく無責任であることを批判した。 また「日本の思想」岩波新書1961年 では、ヨ

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 マスコミは理由は言わないのだが、特定の政治家を悪魔化して打倒しようとする。政治評論家の三宅久之(1930-2012)元毎日新聞記者は、若宮啓文・朝日新聞主筆との対談で、「朝日は安倍と言うとむやみに叩くが、良いところもあるだろう」と言ったら、   

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