近代小説は貴族制からブルジョア制への過渡期に輝き始め、ブルジョア制の勃興期にそのすべての可能性を見せ付けた。 このあいだはディケンズを読んでて痛感したし、たとえばドストエフスキーの『白痴』なんてのもそのラインで読み取るべきものであろう。
獲った魚の扱いに「生けじめ」というのがあり、新鮮さを保てる。 それをフランスの零細な漁師さんが、ニホンで学ぶのでなく、インターネットのビデオのみを見て習得し、魚を高く売ることができているという記事あり。 やる気さえあれば、なんでもできてし
世界のどこでもクリスマスの商業主義には目を覆いたくなるものがある。 メキシコ大司教区からの記事では、「サンタクロースは詐欺師」というタイトルまで飛び出した。 いわく、「サンタクロースはばかげた人物であり、太っちょの道化師である」とのこと。
この『この日曜日』は邦訳が存在するが、わたしにはアクセスがなく、すべて西語でまにあわせる。 以前に数回、読み始めて挫折。 こんどはなんとか読みきれたが、ずいぶんと時間がかかったものだ。 冒頭から予想されるもの、つまり子どもの成長譚だと思っ
わたしは天の邪鬼であるから、クリスマスでみなが浮かれているときに「茶摘」なんて唄のメロディを口ずさんでいる。 この作品のスクルージとおなじく、あまりおおきい声ではいえないが、吝嗇でもある。 するとこの作品は、わたしに差し向けられたメッセー
類書の池内了(2008)『疑似科学入門』岩波新書は読んだことがある。 ニホン人はなぜ健康食品なんてものに騙されてしまうのか。 やはり、藁をもつかむ気持ちがそんなところに滲み出ているのかもしれない。 まずこの作品においては、科学でないものへの分析
昨日と今日は講習会があって、おもしろかったのではあるが、終わってみると、なにを習ったのかよく覚えてない(笑)。 でもパフォーマンス性にあふれた女のひとだった。 そのあとで、タコスの食事会。つつましいものではあったが、たのしめれば、それだけ
ベッジャス・アルテス地下鉄駅構内にインストールされた、米国のコンセプチュアルアートのアーティストによる反戦アピール。バーバラ・クルーガー制作で、経歴も長いらしい。絵ではなく、文字を鑑賞? いや、だから、コンセプトがいちばん。
恥ずかしながらディケンズを読むのは初めて。 英国文学では重要な位置にあるが、ブルジョア小説という小説本来の醍醐味を味わわせてくれる作品として、いまだに、というか、あらためて、脚光を浴びているのではないだろうか。 内容的にはイギリスから見た
ムスリム勢力を憎むトランプ。 そんななか、イラン航空とボーイング社との交渉がまとまり(もちろん米政府も介在)、なんと旅客機80機、総額一兆九千億円というビジネス。 イラン航空にも機材の老朽化という切羽詰った事情があったらしいが、軍需産業が
明日(月曜日)は毎年恒例の聖母グアダルーペの例大祭の日。 おそらく今日、日曜日のあいだに大移動があるのではないかとにらんだ。 サラゴサ大通りで走るときにも人と交差しなくてはならない。 いったいどんな有様になるであろうか。 ということでひ
恒例の年末のダンスパーティー。 組合主催のものと学校主催のものとふたつあるときが多いが、今回はひとつのみ。 今回はけっこうぎゅうぎゅうづめという感じ。 まあ、要は愉しめればそれでいいので、あれこれいうのは野暮か。 こうして歳月が暮れていく
端的にいえば製造業の経営学が詳述されているわけで、わたしが読む本としては異色。 しかしたとえばメキシコにおいては、製造業よりもモノを動かして利益を得る、という傾向があり、エンジニアよりもマネージャーのほうにより脚光があたる。 エンジニアが
ちょっと見るとヨーロッパの街並みに見えるが、メキシコシティの眺めなり。 暗い影でも付き添っている感じだろうか。 とにかく、いわゆるステレオパターンとは異なったイメージである。
ある建物の屋上あたりに描かれた熱帯魚、描きっぷりに惚れてしまいそうだが、はたしてまともに向かって眺めることができるひとはどのくらいいるものだろうか。 そんな意味で、贅沢であり、豪快でもあるかもしれない。 でも僅かしか見られなくて、これだけ
今年も残る日々が僅かになってきた。 もうすぐ冬休みでもあるが、今年最後に読む本のことを考えた。 邦語では「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」。 英語では”Jacob’s Room”(V.Woolf)。 西語では”El heroe discreto"(Varga
一年の最大のお祭りであるクリスマス。 うちのがっこうでもエベントで盛り上がる。 それでも今年は、諸般の事情によって盛り上がりに欠けてはいるのだが。 他の語学がおいしいところを占め、わたしたちのところは今日の一時間のみ、しかもこのところ歌の
学生生活は長かったはずだが、大学の先生の退官記念講演なるものを聴いたことは、一度しかない。 それは東外大の宮城昇先生のもので、辞書の編纂でそれなりに有名だが、いまでは消息がつかめない。 といってもわたしは面識があるわけではなく、退官記念講
夕方、市の警察が触れ回り、おなじ通りの住民の集会を催す。 いわば、防犯と市民組織課、というようなところの主宰。 いかにして地区の犯罪を減らすか、を住民の声を聞きながら、いろいろ説明した。 空き巣の場合は、一ヶ月ぐらいもまえから、だれが住ん
そのいち: 特異な、風変わりなことを言ったり行ったりするひとにたいして、俗に、その頭のなかを覗いてみたいとか言うひとがいる。わたしはそんな気持ちになったことはなかった。しかし、この本を読んでいるあいだ、はじめてそんな気持ちがわかった。 そ
先週は騒ぎあり。 わたしのクラスを出てから足取り不明で家に帰っていない女子学生。 すわ、誘拐か。 はたまた、グループでどこかへ行ったとかいうヴァージョンもあり、わたしも関わっているという見方もあり。 遠回りに尋問されたり。 母親と兄が来て
昨日、廊下を歩いていると清掃の名まえばかりの控え室の前で脚を投げ出している若い男の子がいる。 驚いたことに本を読んでいるのだ。 いま流行のことばでいうとアウトソーシングとかいう下請けの掃除の男の子は、中卒程度ではないだろうか。 読んでいる
美しいニホン語で語られる、はかなく、もの悲しい物語。 美しいニホン語を綴っていくことによる喜びがまずは伝わってくる。 主人公の若い男は自らのいたたまれなさにいつも傷ついているが、自分の分身としての生き物を見出し、コミュニケートすることを願
例のトランプ次期大統領、ずいぶんと鼻息が荒いのは、いまさら言うまでもないこと。 輸入される自動車に高関税をかけると息巻いている。 北米自由貿易協定により米国へ無税で自動車が売れるということで、ニホンの自動車メーカーはせっせとメキシコに自動
アマラント、ニホンではアマランサスとか呼ばれているようだが、それが近年、おおいに注目されている。 わたしなんてただの駄菓子じゃないかと思っていたが、そんなわけではなく、じっさい栄養にとんでいるらしい。 金曜の市ではひとつ6ペソ、しかしパン
(1) これほど凄みのある読み物に出会うのはひさしぶりで、歓喜。その一方で、では凄みのない読み物というのは意味がないのか、などと茶々をいれたくなるのがわたしのわるい癖。凄みというのはいったい欠かせないものなのだろうか、と自縛スパイラルに陥っ
姉妹書の『ことばの人間学』とともに絶版らしい。 内容的には岩浪新書の『日本語と外国語』と重複するところもあるが、より広範なテーマから成り立っている。 著者はもともと英文学者、しかし寝るときになにを読むか、とかはおおいに興味を惹かれる。 シ
当地にて働き出したとき、国民基本コードを作成しなければならなかったのだが、30年もまえのことで、作り方に誤りがあった。 ずっと誤った記号を使ってきたのだが、数年まえに年金機関のほうでありがたいことに書き換えてくれた。 仕事関係などもほぼ自
ニホンの古墳とかにも見られるような殉死がマヤ文明にもあったかもしれないという発見あり。 中村誠一という方は、おもにホンジュラスのコパン遺跡にてマヤ文明の遺跡を調べているようで、ニホンのお金でだいぶ成果をあげているらしい。 アステカなどには
村の南縁を流れる荒川の姿。 今年の夏は、水不足が心配されるほど雨がすくなく、川幅もおとなしかったと思う。 たそがれのこの時間には、こころ乱されるものではないだろうか。