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日記一覧

生きた心地が
2018年12月31日22:01

昨日、ケレタロ方面からメキシコシティに戻ってきたが、具合がよくなかった。ベッドに駆け込む。おなかは痛いし、寒気の発作が連続して震えてるし、生きた心地がしなかった。でもただひたすら、安静にするしかない。我慢の子に徹底する。ようやく、持ち直した

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 ニホン文学史でもきわめて意義深い花袋の『蒲団』のパロディであると思われる。 では、どのように裁いているのか、興味津々。 現代ニホンの風俗を持ち出してくる。 しかも外国人ニホン文学専門家がからんでくる。 つまりニホンの百年の縮図が描かれてい

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 ひと昔前、"swap"という現象を描いたものとして評判になった作品。 ときはヴィエトナム戦争にのめりこんでいく時期であり、それでも米国東海岸ではどこか他人事のようにすべては過ぎていく。 住民たちは暮らしには困らない層であり、ひとつの緊密なコミュ

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(1) 刊行は昨年の夏の終わり、以来読みたくてたまらなかったが、この夏にようやく手に入れ、一気呵成に読み終わる。実は手に入れるまえから、喧嘩をうってやろうじゃないか、というヤクザ心でわたしは満ち溢れていた。歌い文句は、ラジオ講座に挫折したか

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こどもの仕事
2018年12月21日13:44

 メキシコは芸術宮殿の前で、子どもがソフトドリンクの販売につとめる。さて、親はどうしてることやら。

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 アラビアン・ナイト風の寓話。読みながら理解が追いつかないくらいのはみ出しっぷりのストーリー。そのほとばしるイマジネーションに乾杯。ときとして荒唐無稽のストーリーに挑んだ邦訳は、青山南。すっとんでるところが見事。要は、はまれるか、はまれない

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メキシコ人現代アートのアーティストの制作した仏像。仏教圏以外のひとで仏教に惹かれるひとは少なくないが、ここまでしてしまうのは桁がちがいそう。どこかの町の町おこしにまでつかえてしまいそう。場違いな感じもするくらい。手前の距離やら空間がとぼしい

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ひとつひとつの話は短く、むしろプリミティヴと形容したほうがふさわしい。しかし社会の軋轢、崩壊を含んだ時代を描きこんでいくことで、ある高みまで登りつめていく。それはいわば神話的語りという次元に匹敵するか。いみじくもメキシコでも似通った重力によ

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 恐怖のまえで個人はその相貌を失い、単純化されていく。 死のまえではだれもが平等であり、ふつうはその平等性はそれほど意識されないが、死とか絶対的運命をまえにしたときは、だれもが裸のそのままの人になり、いわば人格でさえその形が曖昧なものとなっ

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 カルロス・メリダ(1891−1985)はグアテマラ人画家。いま、メキシコ国立美術館にて回顧展あり。アブストラクトの画家として著名であり、ポール・クレーとカンディンスキーに影響を受けているらしい。当時はきわめて斬新であったことが想像されるが

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入沢康夫先生の思い出
2018年11月30日14:07

詩人・仏文学者の入沢康夫が86歳で亡くなる。もう半月まえのこととのこと。入沢さんはわたしが学部のとき、仏語中級の講師であった。朝7時からのクラスでただでさえ僅かな学生の集まりはわるかった。クラスで使用していたテープ教材のダビングを申し出ると

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(5)読んだのはスペイン語版のみ。ポール・ゴーギャンとその祖母社会運動家フローラ・トリスタンを描いたもの。それまでバルガス=リョサはラテンアメリカのなかのことだけを語ってきて、今回は初めてヨーロッパに触れたのか、という感慨をわたしは発刊のと

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(4)ゴーギャンの母親、それに祖母のフローラ・トリスタンはおなじく四十一歳で亡くなっている。どちらも苦しみと辛さに塗り込められた一生であった。しかしフローラこそはヨーロッパ思想史上にも残るような闘士であり、資本主義の初期における労働者の虐げ

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(3)パリの喧騒と倦怠とに辟易してゴーギャンはヨーロッパ脱出を試みる。それにもかかわらず多くの画家はパリを愛し、棲みつづけたのだが。それとは別にすでにボードレールは、散文詩『この世の外へなら何所へでも』を発表していた。それは脱出願望を批判・

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(2)不可避的にゴーギャンはゴッホと比べられてしまう。比べるられる前に、すでにゴッホ・聖なる愚者、ゴーギャン・自分勝手な日和見主義者、というような色眼鏡をわたしたちはかけているのではないだろうか。あるいはわたしたちはゴーギャンに弁舌の機会を

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まともな質の映画の宣伝
2018年11月24日14:15

 市内にて、まともな映画の宣伝なんて見ようったって見られない時代になっているが、メキシコの巨匠監督アルフォンフォ・キュアロンの「ローマ区」はヴェネチア映画祭井で賞をとり、話題が沸騰。そういうわけでか、まったくめずらしいことに市内のあちこちに

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(1)ゴーギャンはブルジョア・アーティストであり、日曜画家であった。つまりはヨーロッパの中心で資本主義を担っていたのが、何をまちがったか、たまたま画家という道にすすんでしまった。そんな思いがわたしには強い。詳細に見ていくならば、後期印象派た

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 国際交流基金の主催で、ソカロの裏の「諸文化博物館」にて、東京の前と後、という写真展あり。七人ぐらいの写真家の作品が選ばれているが、どうにもカオス的。注目したのは、キュレーターが飯沢耕太郎であったということ。この展示のためにわざわざメキシコ

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 遥か以前には結核の病が死の宣告を意味したように、ある時期までは癌を知らされることはひとえに怖ろしいものであった(いまでは癌治癒は産業にまで成り果てたようだが)。 癌の病棟へと担ぎ込まれるということは、すなわち死と向きあうことを意味したはず

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ベラ・チャスラフスカ
2018年11月18日14:00

 突然の出会い。 ニホンの写真展が催されているということで、諸文化博物館へと脚を伸ばす。 すると目の前に現れたのは、ベラ・チャスラフスカ。 そう、ベラ・チャスラフスカの展示であった。 東京とメキシコのオリンピックにて体操の女王を演じる。 ニ

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 世界はカタストロフィーを被り、すべては変わり果てる。 それでも人類は存続していこうという前提のまえにおおくの価値観が一変。 命の存続こそ最高の価値を占める。 しかしそんな社会は、いわゆるディストピアであるらしい。 生きる意味を問うことなく

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彼方から
2018年11月10日14:56

 長年、苦労していたがようやくインスタグラムにアップできるようになった。 すると外国人のある女の人からのメッセージが届くようになった。 なんとリビアのカダフィ大佐の娘だと名乗っている。 ふむ、どういうことなんだか。 もちろんネットのことだか

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悲劇の組み合わせ
2018年11月10日14:09

 メキシコには何でもある、とかいう言い方は、陳腐であり、かつわざとらしく響くのであまり好きではないのだが、かくいうわたしがそういうことをしばしば口にして煽り立てているような気がする。 昨日のことだったか、国会の審議中、女性議員が突然、悲鳴を

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健康がある社会
2018年11月08日13:32

 健康であれかし。よりラディカルには、健康は万民の義務である、とか。 そんなイデオロギーで包まれたディストピア社会が伊藤計劃『ハーモニー』で描かれるが、それはすでにザミャーチンが考えたことでもあった。 複数の作品を同時に読んでいると、微妙に

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 家庭菜園って、ちょっとでもいいものをこしらえたがるのが人の常であるが、そんなにこだわることもなく、植木鉢さえいらずに、ただの缶、あるいはビニール袋でさえできてしまいそう。知り合いの家庭菜園。これだけのものをきちんと畑に植えたら、かなりのス

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 上海というのはただでさえ混沌とした都市であるはずだが、それが租界ともなれば、わたしの生半可な知識で追いついていくのは難儀。 表向きは租界ということで、ある程度は守られていることになっているだろうが、相手がニホン軍とあっては、一歩先は闇、さ

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いにしえの詩人にちなみ
2018年10月31日13:02

「よーろっぱへ行きたしと思へども よーろっぱはあまりに遠し せめては」よーろっぱのエライさんの絵をば真似てみたい、とか思ってダヴィンチの模写に励んでいたころがずっと昔のわたしにあった。下手の横好き。それでも本を読むときと絵を描くときは、おなじ

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もう二十年以上もまえの、わたくしの拙い作品。それでも毒が混ぜてあり、公けの場になんか出したら不敬罪とかいうことでスキャンダルになりそう。わかってるひとはわかってると思うから、わざわざ言わないけど。でも、アートもまったくのお遊びというわけにも

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 紙細工の異様で奇怪な姿の生き物をアルブリヘという。 イマジネーションの過剰さが際立ち、むしろ怖ろしさを越えて滑稽でもある。 これは民芸品でもあり、お土産品でもある。 コンクールまであり、競う。 レフォルマ大通りにガイコツ・アートとともに並

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 メキシコシティの目抜き通り、レフォルマ大通りでは、つねにいろいろな企画で愉しませてもらえる。 メキシコではお盆のような死者の日、そういうことでガイコツアートが歩道に並ぶことになった。 それぞれのアーティストが個性あるデザインを試みていて、

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