年刊日本SF傑作選であり、つまりはSFのアンソロジー。 こんにち、SFの世界はさらに広くなっている模様。 恩田陸が語っているが、いまでは現実の生活もエンターテインメントもみなSFになってしまうらしい。 ただ科学を媒介にしているだけでは物足りない。
名著中の名著という誉れ高し。 でも、ラディカル、つまり漢字というものを本来、生んだ社会の呪術性なるものまで遡って考察しているために、現代人のわれわれにとっては初めは違和感を感じてしまいそう。 しかし昔の世界はおどろおどろしい、禍々しいもの
ニホンの実家に空き巣が入ったことを知る。 妹がお花の教室に使っているだけでだれも住んでいなくて、わたしはそこに泊まるけど、金目のものなんてない。 ちょっとした骨董品あたりかな。 それなりに荒らされている。 でも畳を裏返して、掘りごたつのな
編集、なるものがとても広い意味で捉えられている。 あまりにも当然のことが滔々と語られているので、これだけのことをこう意識化するだけでも、おおきな企てなのかと思う。 意味を組み立てて、人とコミュニケーションできるようにすること。 情報を自分
それなりに生きてくると、ときとしてすべてが分かってしまったような錯覚におちいるときがある。それは、ただしくないのだが、わたしたちはそんな過ちをおかす。それでも、いや、そうではないのだ、という瞬間を持てるようならば幸せであるにちがいない。とい
ニホンのビールは互いに競い合って、うまい。 しかしビールの消費量では中国が世界でトップ。 メジャーなベスト・テンに中国のビールが四つあり。 Tsingtao,Yanjing,Harbin,Snow。 コロナビールといえばメキシコのシンボルのようにみえるが、いまではメ
うちのがっこうの図書室、いくらハロウイーン気分といえども、これはやりすぎではないだろうか。骸骨といっても、これはホンモノではないはず。どちらかといえば、死神に近い。これは、このセクションのメンバーのメンタリティも影響しているのか。
日本語のことはよく知ってます、プロですから、なんてはったりをかますことが得意で、厚顔無恥さでは他人にひけをとらないわたしであるが。 高校の古典科目的教育では、ニホンの古典は嫌いではなかったが、いったいどこまでわかっていたのかおおいに疑問に
ニホンの歴史を貫いているのは、人の間のねちねちとした嫌らしさ、その一方での理解をこえた禍々しさ。このふたつが織り成す味気なさ。 これはあるいはニホンを越えて、より一般的な物言いとしてもいいのかもしれないが、すると締りがつかなくなる。 また
メキシコ人の知り合いがアップしたもの。 ホームレスの住まいと思われるが、きちんとまとまった住居になっているのはりっぱ。 住めば都、とか?
刷り込みとは怖ろしいもの。わたしの場合は高度成長期が身にしみるような少年期を過ごし、すべてが右肩上がりのようなイメージを抱いて生きた。 まだ節約とはいいことだ、とは思い込まされていたものの。 とはいっても、第三次世界大戦とか核戦争にも怯え