(1) フリーダ・カロが二十世紀前半メキシコ文化史の光だとすれば、影はルペ・マリンにちがいない。誰もが心得ているようにフリーダはメキシコのあの大壁画家ディエゴ・リベラの二度目の奥さんで、長いことディエゴに付き添うような存在であったのに、いま
チベットの苦難が語られる、うん、それは誰でも知っている。 知らないのは中国に具体的にどのように扱われたか。 国を(集団で)離れなければならないときに人は何を感じるか、それはニホン人にはわからない。 たしかにニホンだって満洲その他から命から
ヨーロッパなどの歴史家でスペインを主に扱っているひとたちをイスパニスタと呼ぶ。その一人であるオックスフォードのジョン・エリオットが九十一歳で亡くなったという記事あり。ニホンでのスペイン史というとごくわずかな時代のみ調べられているが17,8世
(1)男の子は質実剛健であるべきだと唱えられるのがふつう。しかしながら病弱でないと見いだすことができない感覚的世界があるのもじじつ(もっともかくいう感覚的世界なるものを好む人がどれだけいるかも疑問であるが)。そんな研ぎ澄まされた感性の少年