著者は洛中・洛外にこだわる。これについてわたしが抱いていた知識は「洛中洛外屏風」なんてものでしかないのが恥ずかしい。あらためてこの屏風には何らかの思想が伴っているのかを考えてみる。もちろん、なにもないわけではない。わたしは昔は日本史専攻を
周知のようにニホンの近代文学は、いわゆる共同体の桎梏に疲弊し、嫌悪し、逃亡して個の自由を謳いあげるもの。その過程では禁忌を踏みにじることも欠かせない。もちろんそれはニホンにかぎったことではなく、近代世界に共通するものだともいえる。 ところ
災害現場で活躍する救助犬。昨今はゴーグルをかけ、保護靴をはく。ガラスが散らばっていたり、埃、あるいは頭部にぶつかってくるものもあるはず。ところがトルコの現場での救助犬はそれらの装備がなく、不当な扱いをうけているとかの声が上がった。しかし国際
主人公は元ルンペン絵描き、それが結婚を機にNYの広告代理店に勤務して成功。そののち、リタイヤし、セミプロ画家としてデビュー。 この家族はニューイングランドへ移住。ところが移住先がほとんど閉じた共同体。主人公の見聞が刺戟される。 米国において
いまはまだ我ら地球人は宇宙のなかで孤立しているとか暢気なときを過ごしているが、しだいに宇宙人を知っていったとき、党派性なんてことばを思い出すときがくるかもしれない。宇宙は気が遠くなるように広大であるから仲間内といえるような宇宙人同盟も限定
近くの運動公園の施設での健康講習に通っている。話を聞いているだけかと思ったら実習もあり。まあ、血圧の測り方なんてのは問題ない。しかし注射の実習なんてのもあり、慌てる。わたしのうろ覚えでは前のニホンでは看護婦は注射を打てず医師のみだった。それ