講談社現代新書が六十周年だとかいうので張り切ってキャンペーンを催している。玉石混淆のラインアップかな。本来は黒子に徹する編集さんがお勧めをアップ。編集さんやら書店員というのは本の目利きのはず(昨今は事情が異なっているかもしれないが)。そのお
本日はダンスの発表会なり。ただしアクティヴィティが多岐にわたっているわたしはレッスンがじゅうぶんにとれず、棄権のようなかたち。以前はダンソンを人様のまえで踊ったが、今回のプレゼンテーションはマンボ。ある意味ではよりやさしいのだが。両腕に多彩
このところ引きこもりがちであったが故にシティに出て美術館を三館ほどはしご(すべて無料)。最後の版画美術館では希望者に版画を制作させてくれる(これも無料)。覚えているだけで三、四回は試みている。本日の手すさびはこんなもの。まあ、大したものでは
鶏の脚。ニホンの外航船での飲み会のビデオを見ていると茹でた鶏の脚が肴のような感じで並んでいるのを見て驚く。ニホンで食されるとは知らなかった。鶏の脚はミネラルやカルシウムが豊富で当地では子どもがそれこそおしゃぶりのように口にするのを見かけるの
ニホンはアプリ・健康食品大国らしいがひと皮むくとかなり危ういようだ。一方、メキシコは薬草大国。たいていの植物でお茶をこしらえるし古老はどの植物は何に効くかを細かく心得ている。ただしこの国も近代医学の浸透で古来の伝統は無視されがちではあった。
今は昔とは言いながらも、いささか節操のなさこそを身上としてきたようで大いに案じるところあり。かつてはラス・カサスの研究なるものを騙って立ち回ってきたが分がないとわかるとすんなり手を引いてしまう。その道のニホンでの権威なるひとはSさんといい、
つり革をしげしげと見詰めていた。めったにあるものではない。なぜかこの国では地下鉄にもバスにもつり革というものがない。ただ鉄棒を掴むばかり。いま乗っているのはトロリーバス、これは数年前に中国から購入したもの。だからなのか。でもなぜないのか、考
クールベは、見たことがあるものしか描かないと言い張った。この論理でいけば神話などは描くことが不可能。さて課題として思い出の一コマを描け、というのがある。思い出というだけあって今では心象風景のようになっている光景もあるはず。はじめは困惑。実物
当地ではナスはあまり食べない。食感もズッキーニと似通っているし。でも近くの割安な八百屋でずいぶん安く売っていたので買い込んでみる。当地でなぜナスが好まれないかというとまず苦いという印象があるらしい。わたしたちはナスが苦いなんて思ったこと、一
鍵盤系なら多少はいじったこともある。でも弦のほうはからっきしダメ、と思い続けていた。ヴァイオリンのレッスンがかなりストレスになりつつあり。教習本ひとつあるわけでもなし。せめてはyoutubeとかでごまかすしかない。なにしろ週一時間だものな。ずっと
NBAの選手なんてずっと前から漢字の刺青を入れてる。当地の地下鉄で見かけた光景。お兄さんの首筋に「恋の予感」なんてニホン語が見える。彫ってあるのではないかもしれないが。でもこの文句、ナンパ系を思わせる。もっとも本人はご存じであろうが見かけたひ
今週は国立アートスクールのワークショップが五つ催され、そのうちの三つに出席させてもらえた。無料。講師陣は申し分ない。参加者は素人に毛が生えたような人から達者な人まで多彩、粒が揃っていない分、面白いともいえるが。まったく新しいことを学んだとい
ニホンの交番なるものは地域に密着したものとして有名。治安が脅かされる地域では住民と治安担当者との密接なコミュニケーションが望まれる。当地では地域ブロックごとにパトカーの分担がきまり、ときたまの住民との直接対話(あまり参加は多くなく、十人を
絵が好きな人や得意な人はいくらでもいそう。メキシコ版芸大の公開コースがこのところ集中していて幸い、三日ほど参加が認められた。参加者は素人に毛が生えた程度の人多し。歴史的には見えるものしか描かないひともいる一方で記憶に頼るなんて描き方もあり。
日曜の犬の調教・訓練グループを訪れるとスタッフでもある女医さんが男の子を治療中。この男の子は防護服を着て防犯用の獰猛な犬を刺戟する役割。しかし隙でもあったのか首筋に噛み付かれたそうだ。牙の長い犬であるから写真も見せてもらったが凄まじい。さて
先日エクアドルのバナナに触れたばかり。じつは根が深い問題らしい。ロシアが貸与した兵器を疲弊してすでに重要さはないとかの理由で米国へ引き渡したエクアドル政府、ゆえにロシアが硬化。ロシアはエクアドルからカーネーションの花を輸入しているがそれもキ
東京生まれは粋なひとが多い一方で田舎育ちは見聞が狭い。恥ずかしい思いをすることもすくなくない。コンプレックスになりかねない。学生のときは下北沢に住み着いて踏み切りそばの中華店へと通うようになった。天津丼なんていうのも聞いたことはなかった。か
再読であるからして何とか構造に食らいついていきたい。心理主義なんてものはなく、ことばを含めたパフォーマンス劇という性格つよき作品。つまりコムニカティヴ性を謳っているがだからといってお互いが通じ合えるかというとおおいに疑問。お金はともかく男
『オッペンハイマー』にてとても気になるディテールあり。原爆をどこに投下するかを指導部が話し合う。ある将軍が「キョートはやめとこう。恋人と旅行したことがあるんだ」とか言う。えっ?一般的には京都は歴史的名所が多いから一部の米国の識者が反対したと
いつの時代にも移民、難民はいる。メキシコは米国へ潜り込むトランポリン。とりわけ目立つのはハイチ人、本国で暮らしにくく、治安の悪化で生命の保証さえあやぶまれる。今後のことは不確かながらメキシコの一部にてテント生活。浅黒い人が少なくないメキシコ