mixiユーザー(id:1299833)

日記一覧

名付けえぬもの(2)
2021年12月29日13:36

昨日は、ことばは事物を冷却する云々に触れていたが、言葉足らずの気がしたので敷衍しておくことにする。モノそれ自体は怖ろしく、人間には扱いきれないほどだ。しかしことばという規範体系にてくるみとってしまうことでその怖ろしさなるものは合理化される。

続きを読む

名付けえぬもの
2021年12月28日13:04

とても怖い生き物がいる。ただただ恐れおののくばかりだ。しかし誰かがそれを「豹」と名付けてみる。するとその怖ろしさは「豹」につぎ込まれる。ああ、「豹」というのは怖ろしいんだな、と納得できる。そんなことを昔、開高健が語っていた。いま、北杜夫の短

続きを読む

 今回も読むのに異常に時間がかかった。よっつの長い短篇、あるいは中篇小説とでもいえばいいのだが、その一つひとつに時間の長さが組み込まれていて、あっさり読み過ごしては申し訳ない気持ちでいっぱい(単なる言い訳だが)。(1)「グランド・マザー」母

続きを読む

遅まきながら「ホセとピラール」見る(youtube)。もちろんホセ・サラマゴ。等身大のサラマゴを丁寧に描き出す。老いてはみたものの、それなりに精力的で驚く。見かけによらず若々しいのはなぜだろうか。あるとき、サラマゴ曰く「ぼくは小説のことは知っている

続きを読む

 七つの短篇から成り立つが、表題がしめすがごとく、「ある女の生涯」と「嵐」がメインとなる。他の小篇は、作文としか見なされていないようだが、それでも見方によっては興味深いものがあり、とりわけ藤村に個人的関心を抱くならば、無視できない存在。 「

続きを読む

本を買いたい
2021年11月05日08:18

江戸時代から人びとの読み書きの力が諸外国に比して高かったといわれるニホン。しかしニホンの近代文化史、あるいは読書普及史において1926年(昭和元年)は意味深い。知ってる人は知ってる(笑)円本の刊行である。それまでは貧乏文士と呼ばれていた作家

続きを読む

熱海へ行く
2021年10月31日13:19

熱海なんて近すぎて遊びに行く気もしない、と思うひとは少なくない。藤村の短篇そのものずばり「熱海土産」では娘を療養に熱海に送る話が出てくる。震災のすぐ後ぐらいで、もちろん熱海には鉄道も海岸線の道もなし。ということで小田原の早川の港から熱海、伊

続きを読む

等身大がいいかわるいか
2021年10月30日13:57

 藤村の『嵐・ある女の生涯』を読み始める。 毀誉褒貶のたえない藤村。すくなくともニホン近代文学に可能性を示唆することができたひと。『夜明け前』や『家』など長編をはじめほとんどのナラティヴを読んできて、それなりの理解に及んでいるはずの藤村であ

続きを読む

 人間関係が錯綜してくれば被害妄想なんてものも増えるのは避けられない。 錯綜するからにはその関係性のなかに義理や人情が忍び込んでくるのはしかたない(演歌の一歩手前だけであるかもしれないが)。 そのような事実が存在するということと、それを読ま

続きを読む

お芝居デビュー
2021年10月24日14:14

何と!お芝居デビュー!昨晩が初演。ヒバクシャを扱った劇であり、わたしは声のみの出演、つまりナレーターというか、証言者のような。戦中を生きていた少年が被爆し、それでも生き抜いていくが、良心の覚醒を経て立ち上がる、というメロドラマ風反戦物語でそ

続きを読む

ニホンからわたしが持ち帰った食品も残りわずかだが、すべて賞味期限が切れている。でも喰い地がはってるので、正倉院から出てみたものだって、ぺろりとご馳走になりたい。かくして食べ物の恨みは侮りがたい。先の東京オリンピック、初日に廃棄された弁当は公

続きを読む

 読み始めて人物関係の把握に困難さを感じて、しばしそのままにしておいたものの、この著者はやはりきちんと読みこなしたいと再考し、やはり容易ではなかったが、読み通す。 あるいは綴り方にも問題があるのかもしれず、すくなくとも名文ではないかもしれな

続きを読む

小川・多和田組
2021年10月06日10:02

鴻巣友季子さんによると昨年開示された1970年度のノーベル文学賞、つまりソルジェニーツインが授賞された年には、ニホンから石川達三と伊藤整がロングリストの候補にあがっていたとのこと。ちょっと寝耳に水。触れるのは恥ずかしいけど、何を血迷ってか、

続きを読む

相撲取り
2021年10月05日12:04

周防正行『シコふんじゃった。』は面白く、女性力士まで登場。たしかnetflixでも女性力士が出るフィルムがあったはず。今では全日本女子相撲選手権大会まであるのだそうだ。そんななかでジェンダーフリーの観点から在日メキシコ大使館が優勝者に牛肉25キロ

続きを読む

 この荒唐無稽さ、理不尽さ、有り余るバイオレンスは何だろう。 秩序と良識が存在する以前の混沌さ、そこではすべてが含まれ、何もかもがゆるされる。 これこそ歴史が始まる以前の人間とそれを囲む世界の有様だったのではないだろうか。 こんな話は、まっ

続きを読む

お芝居のナレーター
2021年09月28日13:32

異邦に留まると様々なことをもとめられることがある。今回はお芝居のナレーター役をおおせつかった。ヒバクシャについての劇で、事実上の主人公役、証言者のような役回りでもある。人形劇ではあるがほぼ等身大のような人形。ニホン語訛りのあるスペイン語とい

続きを読む

 鏡花はいまではあまり読まれない。 文が古くさいわけではない。逆に、のめり込み、はまり込ませるような魅力をかかえている。 いわば魔術的リアリズムと形容してもまちがっているわけではないかもしれない。 この幻想性、耽美性なるものはどこまで江戸期

続きを読む

 この作品を数語でまとめるなら「一冊の本。結び目の図解。信管の配線盤」というところか。もちろん、この結び目というのはヨーロッパとアジアの結び目、という含みもあるはず。 ひとは国境をさだめ、いくさをおっぱじめる。 その近代消耗戦がたどり着いた

続きを読む

「自動車はけっしてスクラップにならない」という。あの部品この部品があちこち持ち運ばれ、どこかで組み込まれて働き出す。だからペンを持ち歩くひとよりスパナやドライバーを持ち歩くひとのほうが多い。これも「イギリス人の患者」の一節。インドの(工学的

続きを読む

西洋画と日本画
2021年09月13日12:38

西洋画と日本画のちがいは何だろうか。西洋画は、写実に徹底し、ありのままに描くことを課題とする。日本画は、描かれるものの本質を抽出し、余分なものをこそげ落とすことに留意。少々、乱暴な言い方であるが。だからいつか「驚いたことを思い出して描いてく

続きを読む

水たまりの哲学
2021年09月09日12:30

 いま読んでるオンダーチェ「イギリス人の患者」に次の一節あり。「アジアの庭園では、岩を見て水の流れを感じ、水たまりを見て、そこに岩石の固さを想像する」枯山水のことはだれでも分かるとして、水たまり云々が謎っぽい。またはわたしが無知なだけで禅の

続きを読む

ヨーロッパ哲学では終始、「本質」ということが問われていたと思う。それがいつしか「関係(性)」にこそ大きな意味があると言われるようになった。しかしながら近年、「表象」ということが繰り返され、それは「現象」とどう異なっているのか。「表象文化」と

続きを読む

 時間とは日常と非日常とに分けられると思われる。 ときとして生涯すべてを日常でしか過ごさないようにみえるひともいるが、もしこころの闇といってよければ、そんなものに見舞われたことがあるかどうか、周りのひとは気づかない。 内的、外的要因によって

続きを読む

 その内容は深淵かつ壮大なので、いくら考えても自分のまとまった考えへとたどり着けそうに思えないので、ここはあえてすんなり、ざっくりすましてお茶を濁すしかない。 地球外の高等生物は何を考えているのか、それは善か悪か、といった次元から始まるのは

続きを読む

エログロナンセンス
2021年08月20日13:26

海外での日本学の研究も深化する一方。当地ではエログロナンセンスを極めるひとたちも。1920年代の江戸川乱歩あたりが起源だとする話があり、それはそうかもしれない。でも、それを「マルドロールの歌」や「地獄の季節」といったフランス象徴派系の流れと

続きを読む

ソラリスへと飛ぶ
2021年08月11日13:27

映画を見てからあまりにもの年月が過ぎた。宇宙なるものに生命の息吹があるものだろうか、物理的に、またはメタファーとして?人間というあまりに卑小なるものにも意志ないし意識なんてものがオマケについてきてる。ならより崇高なものに意識やら知性がなかっ

続きを読む

 明治の近代文学の初期においては、大きな可能性が秘められていた。 篠田浩一郎の言を待つまでもなく、「我が輩は猫である」と「破戒」とがもし、その後のニホンの文学史を引っ張っていったなら、より風通しのよいニホン文学が成り立っていたにちがいない。

続きを読む

官立と私立
2021年08月05日10:36

 藤村の「桜の実の熟する時」を読み始める。 明治になって文人(およびその予備軍)は、官立、私立大学に二分される。官立の代表、鴎外は明治17年、漱石は33年に「洋行」。一方、ここでは私学の雄たる藤村の立志伝めいたものが語られるが、すでに明治2

続きを読む

 奇妙な、というより辛辣な、と形容したほうがふさわしいような短篇集。 この苦さには、書き手の性格やら世界観がじかに反映されていると思ってしまうのだが、そういう考え方は邪道だろうが。「緑の木かげ、みどりの思い」なんてコルタサルのノリのような気

続きを読む

 作者がオレゴン州のいなかの大学へ単身乗り込み、のんびりしようと思う。 とはいうものの、その間になにかしら著わしたいと願う。 漱石の夢物語のように、とりとめもないのにインパクトのつよいものを欲する。 でも、それはそれでまともに書けないのは当

続きを読む