美しいニホン語で語られる、はかなく、もの悲しい物語。
美しいニホン語を綴っていくことによる喜びがまずは伝わってくる。
主人公の若い男は自らのいたたまれなさにいつも傷ついているが、自分の分身としての生き物を見出し、コミュニケートすることを願う。
しかし分身とのコミュニケートとは、自己憐憫性にみちてくるものであり、パセティックな感性が目だってくる。
しかし、好むと好まざると、他者とのコミュニケートは強いられるものであり、ただそれがたいていは不完全なままでおわっているという結果が待つ。
自身の憐憫とことばの美しさに溺れた作品だといえるだろうか。
美しいニホン語がすくなくなったいま、それだけでもおおいに顧みられるべき作品であるにちがいない。
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