SFにて宇宙はロマンと夢にあふれていると考えられるのがふつう。しかし少々、通じてくればそんな生やさしいものではないと気がつく。なんだ、宇宙なんて地球の縮図でしかない。あるいは宇宙は善と悪の二元世界。この作品では冒頭は裕福階級(ユッピーともい
再々『Perfect Days』。監督も役者も平山は前は何をしてたんだろうか、どう生きてたのか、と問う。それはある意味では禁じ手。そして今の平山は幸せなのか。人は永遠の現在に近づけると感じたときは幸せであるはず。しかしこの幸せというのも禁じ手でそれは主
再び『Perfect Days』。あの平山という男、ストイックで堅実。永遠の現在を生きるかのよう。ところがあの職種からして正社員ではなく派遣では?派遣だとしたら平穏な日々をそれほど送れるわけがないし正社員だったとすれば何かさらにワケありか?さて監督は平
二三週間前は足首や膝が痛くて歩くのもやっとだったのに、それがまるで嘘のよう。五日続けて日に二万歩以上歩いたり走ったりしてる。この体どうなってるの?もっとも慢心してはいけないのだけど。前は二万歩と考えてたけど最近は一万歩でいいよ、と思うように
映画『Perfect Days』見る。シネテカに一時間前に着いたら残りの座席は二つ。なむあみだぶつ。さて、これはトウキョウを異化したストーリーだとわたしはみなした。今まで少なからぬ外国人映画監督がトウキョウを、ニホンを描いてきた。それぞれ見方が微妙に異
初めての男性モデルが相手。仲間うちから優男風がモデルを務めるのだと思っていたらマッチョそのもののプロレスラー風だったのでびっくり。大柄ではあるが美学的にその肉体は魅力にとぼしいとわたしには思えた。仮面はつけるが体はすべてむき出し、一瞬、背徳
この三月に刊行されるガルシア=マルケスの遺作「八月に会おう」はテキサス大学へと委託された資料から見いだされた。息子たちが出版許可に同意。しかし心神喪失状態で綴られたもので本来の著者とは縁もゆかりもない、とサルマン・ラシュディは主張し出版に否
長いこと東西のマスコミにてポール・オースターのことが書かれていない。そんななか当地のホルナダ紙では通信社に基づくことなく記者がオースターのことに触れていた。取材源は奥さんのインスタグラム。曰く、オースターは癌病院にて小康を得ているとのこと。
右手の薬指が曲がらない。少しは動く。もう一年近くになるだろうか。小指もちょっとつらい。暇をみては自分でマッサージする。電気ショックもしてもらった。でもよくなる気配なし。でもあまり気にしてない(笑)。十年も前になるか、おなじように左手の薬指が
再び「オッペンハイマー」。巷ではバーベンハイマーなんて言葉までこしらえられた模様。そうかと思えば原爆シャツ、色刷り木版画の美麗なものまである始末。映画ではヒロシマへの投下を決定する会議シーンまであり、町山さんによれば米国公開の際には失笑まで
かつてドジョウやイナゴはいなかの滋養源であったはず。それが農薬の利用によってめっきり減ってしまったのはご存じ。一方でコオロギ食云々というのはすっかりこけた。フードロスが目に余る国でコオロギを取り沙汰するのは酔狂すぎる。バッタはコオロギよりお
メキシコにはただいま十一万人のハイチ難民が過ごしているそうだ。どんな国にしろ、そこから出ていくというのはそれ相応の理由があるはずで、経済の次元にかぎらず生命の保証ができかねる場合がすくなくない。一応、米国を目指しているとかいうことだが。うち
いまのアイスランドの噴火というのは八百年ぶりなんだそうな。三百年程度しか休んでない富士山と比べるとやはり格がちがうかも。もちろん富士山噴火のシュミレーションもきちんとまとめられているらしい。ところでその富士山の噴火、一回こっきりとか前例など
自動支払い機に呑まれた銀行カードの狂想曲、三日目。都心の銀行へ向かうとまだ未解決。最寄りの銀行のほうが楽だろうと示唆され、もとの銀行へ煮えたぎる怒りを抱いて小走り。教え諭されたことをまくし立て、しっかりした応対をされないなら公の場で騒ぎ立て
木曜日に最寄りの銀行の自動支払い機に銀行カードを呑み込まれる。言われたまま、今日、都心の銀行へ繰り出す。まずは扱いは本行ではないと言われるが、当該の銀行へ問い合わせ、問題がなければここでも発行できるとまずは親切な扱い(つまり、最寄りの銀行で
二年前に初演されたヒロシマのヒバクシャを扱ったお芝居の再演。文楽まがいの人形や影絵を用いスペイン人女性のオリジナル台本。それにナレーター兼主人公役としてわたしも参加を請われた。いくつか考証的に意見も述べてみたが細かいところにこだわっても仕方
一昨日のこと。いまでは統廃合で近くに銀行がないので歩いて三十分以上もかかるところまで行かなくてはならない。機械にカードを差し込む。なぜかたちまち機械が停止し、カードも取り出せない。さっそく銀行の人に問い合わせると身分証があればすぐ再発行して
ぼそぼそとしか話せない人がいる。わたしもそのひとり。考え、考えしないとしゃべれない気がする。その一方で淀みなくしゃべっていられるひともいる。そんなに流れるように話せるというのは頭の構造が異なっているのかと思ってしまう。でもよく聴いていると思
応急処置・保健の市民講座に顔を出すと大柄な女性講師が乳児を抱えながら喋っている。乳児がいるというのは知っていたが胸から腹のあたりに帯をめぐらしてそこに子どもが。べつにむずかっているようでもない。うちの学校でも保育所に間に合わなかった子ども
さすがに寒さが厳しくなったせいかニホンの熊フィーバーもとりあえずは絶えたようにみえる。願わくばすてきな夢を見てもらいたいもの。どんぐりだらけの林とか。一方で禁止ということになったメキシコシティの闘牛は、猶予条項の申請とかで再開。闘牛場は超満
これだけ政治が荒れているというのに、ニホンって依然として選挙の投票率が低いまま。これでは政府からいつしか改憲事案が出されたとき、「そんなの知らないよ、オレには関係ないよ」と多くのひとたちが思っているなかで、組織票の連中がしっかり繰り出し、結
悪漢ではあるが同情の余地もある主人公、その主人公には素直に感情移入できるわけではないが、終始、そのペースで語られているとつい気になってしまう、ポリティカリ・コレクトではないが。こんな奴が気になるなんてわたしも情けないな、なんてぼやいてしま
地殻的には世界でもっともあやうく、つまり危険極まりないニホンにそれでもゲンパツが跋扈する理由は、ゲンパツから原爆が製造できるということ。ニホンの一存だけでの原爆が製造できるということ。実際に使用するかは別問題。核兵器保持国に拮抗するためには