人間関係が錯綜してくれば被害妄想なんてものも増えるのは避けられない。
錯綜するからにはその関係性のなかに義理や人情が忍び込んでくるのはしかたない(演歌の一歩手前だけであるかもしれないが)。
そのような事実が存在するということと、それを読まされるというのはかなり事情が異なると思われる。
じっさい、歯がゆく、まわりくどく、うんざりさせられる。
それでも主人公は、なんとかして明るみを見いだそうと試みる。
さて、はたして見いだせたのだろうか。
第二次大戦は終わり、米国は戦勝国にはなったものの、市民レベルでは暮らしが豊かになったとは感じられない。
あるいは主人公の周りだけがそんな調子なのかもしれないが。
米国でのユダヤ文学の波はいくつかあったはず。
この著者も高名ではあるが、現在において、あるいは多くの支持を得ているかはわからない。
あまり思い出したくない米国が描かれているからか。
傍目には厭世的ではあるが、もし研究者ならば希望をどこかに見いだすことができるのかもしれない。
ログインしてコメントを確認・投稿する