いま読んでるオンダーチェ「イギリス人の患者」に次の一節あり。「アジアの庭園では、岩を見て水の流れを感じ、水たまりを見て、そこに岩石の固さを想像する」枯山水のことはだれでも分かるとして、水たまり云々が謎っぽい。またはわたしが無知なだけで禅の作法の奥義なのだろうか。イマジネーションの在り方としては、初耳ではあるが大いに魅力的でもある。以後、水たまりを眼に留めたとき、いままでは異なった感性を感じていけるのだろうか、いかなくてはならないのだろうか。水たまりの前に座って三年ぐらいたたないとそんな境地へとたどりつけないのだろうか。
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