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2018年12月23日13:41

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青山南『60歳からの外国語修行 メキシコに学ぶ』(岩波新書)

(1) 刊行は昨年の夏の終わり、以来読みたくてたまらなかったが、この夏にようやく手に入れ、一気呵成に読み終わる。実は手に入れるまえから、喧嘩をうってやろうじゃないか、というヤクザ心でわたしは満ち溢れていた。歌い文句は、ラジオ講座に挫折したから現地留学したとかいうもの。その一方でわたしは『基礎英語』から始まって、仏語、西語とNHKのラジオ語学講座にはお世話になりっぱなし。はじめの頃は、リピートして聴くためにテープに録音しようにも、大金をはたいて買ってもらったカセット・テープレコーダーからラジオへとコードをつないでようやくのことで録音したもの。それが仏語、西語とつづき、スペイン語は基本的に独習、何年も聴いたラジオ講座に負うところ大なり。それを英語の高名な専門家が挫折するとは、理解に苦しむ。
(2) 68年のメキシコの三文化広場学生虐殺事件、それを著者は大々的に取り上げる。それはたしかに去年、今年の段階においてメキシコに理解に乏しいニホン人にとっては啓蒙的であるかもしれない。しかし、その虐殺事件を初めて取り上げたのは84年刊田辺厚子の『ビバ、メヒコ』(講談社現代新書)であり、朝日新聞の日曜の書評欄においてつるみ俊輔が「この事件が日本のメディアに出たのは初めてだ」とか綴っている。岩波の編集者はそれを知らなかったのか。
(3) こともあろうに著者は、16世紀の聖職者ラス・カサスのことに触れる。インディオを殺戮するスペイン人を批難はするが、キリスト教の教会らの動きについては無自覚だとか語る。恥ずかしながら、わたしはかつてはラス・カサスの専門家であり、膨大な著書を残していて、批難の矛先はスペイン自体、教会自体にまで向かっている。生半可な知識で著者に大言壮語されたくはない。ラス・カサスの名誉のためにも、これだけは言わなくてはならない。
(4) メキシコのコンビニの大半はオクソ・チェーンである。その音がおかしいと著者はいう。ここで問題にされるべきは、このコンビニは、ニホンとおなじで小売業を淘汰していること、現金振込みをしても先方につかないことが間々あることとか。
(5) メキシコのみならずラテンアメリカでも大手であるパン製造・販売企業といえば、ビンボー、という。貧乏を連想させておかしい、と著者はいう。じつはこの名は、ビンゴとバンビをかけあわせたもの(従業員から聞いた)。しかも、マクドナルドのパンとおなじで、いくら日がたってもカビがはえない。つまり使われている保存料がハンパではない。わたしは有害だと思ってるからいっさい食べない。
(6) 要するに、著者のネームバリューでもって、この無駄の多い作品が岩波新書に紛れ込んでしまった。たしかに、初心者向きの本なのだから、目くじら立てること、ないじゃないですか、といわれればそれまでだが。おもしろいと思うひともたしかにいるのだろう。だが、ここは著者の責任というより、岩波新書の編集者の目配りの問題だとわたしは思う。
(7) (じつは読みながらもっとメモを残したはずであるが、そのメモが見つからない。それで、ここまでということ。見つかったらあらためて付け加えておきたい)

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