モーパッサンの「女の一生」は、夫という運命に従った女性の悲劇である。ただし、この類型は、今は昔になっているだろう。ところで、樋口一葉の「たけくらべ」もそうなのだろうか。吉原遊郭の遊女という運命軌道にのる直前で終わっていると。確かに、そう習った。先生は、鬼母のせいでといったので、長い間読まないままであった。
しかし、読んでみてのみどりの印象はがらりと違った。そんな従順な女になりそうにない。むしろ、「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアに似ている。ノンベルク修道院の規範に全く合わず、領主の男爵の希望とはいえ、体よく玉の輿にと送り出された。しかし、そこでも男爵夫人の規格外れであった。本人は、院長公認の永世修道女で、同時に男爵夫人であるというプライドを持っていて、アメリカに渡ってから、指示されても、膝の見えるようなスカートで、ハイヒールで舞台に立つものか、と決心していたとのことである。
みどりの行動をみれば、遊郭もさぞやもてあますだろうと、同情したくなる。ボーイフレンドのお寺さんの少年もだが。
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