「花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世に降る ながめせしまに」小野小町の年をとる嘆きの和歌である。古代から現在に、そしていつまでも、共感される歌であろう。しかし、年をとることは宿命である。嘆いてばかりもいられないだろう。
そこで、キリスト教であるが、「一粒の麦死なずばただ一つにてあらん、死なば百の実を結ぶべし」とある。年をとるということは、若さが死んでいくということだ。社会に出て働くことは、若さを犠牲にして、新しい実を結ぶ行為である。イエスは、猟師や羊飼いなど働く人々に向かって、教えを説いて歩いた。平安朝貴族の女性との感性の差は大きい。
小町とイエスの言葉は対照的であるが、両方とも真理であり、心を打つ。イエスの言葉は強いが、しかし、人間いつも強くはいられないのである。
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