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2010年11月11日11:49

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賢治ととし子(13)  春と修羅のテーマ

 詩集「春と修羅」はなぜ書かれたのだろうか。これまでの検討の指し示すところは、仏(釈迦)の許しを求める懺悔と祈りなのではないか。 
 すでに、とし子は、女学校時代の音楽教師への大胆な求愛を反省した自省録を書いている。
 春と修羅は、とし子自省録の後をうけて、修羅であることへの懺悔と許しを求めるものではないのか。賢治はとし子倒れるの報をうけて、家出先の東京から、トランクいっぱいに書きためた童話の原稿をもって帰ってきた。弟、清六氏の回想によれば、意気揚々として、子供を産む代りのものだ、といったそうである。そして、とし子の病床で、いくつかの原稿を完成原稿にし始める。すべては、仏(釈迦)の言葉であり、その力をもってしてとし子の病気を治してみせるという自信をもっていたのであろう。しかし、治る気配はなかった。
 賢治は、罪を告白する詩を書くことで、仏の慈悲にすがろうとした。しかし、それにも効果はなかった。詩「春と修羅」はその絶望的心情を告白している。まことの言葉はここになく・・・と。
 「春と修羅」は、高村光太郎の「知恵子抄」に似ている。「とし子抄」として受け止めるべきではないだろうか。
  
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