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2010年11月29日07:55

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小説の中の謎(12)  悲劇嫌い

 昔読んだアンデルセンの自伝には、ある友人から、「なぜ悲しい話を書くのか、少し変えればみんな幸せになれるのに」と言われて、呆れてしまったとあった。私も悲劇嫌いであったが、アンデルセンが正しい、「君の名は」のファンや、なんでもハッピーエンドにしてしまう昔のハリウッド映画ではあるまいし、と思っていた。
 ところが、「ウオーターシップダウンのウサギたち」、「疫病犬とよばれて」などアダムスの動物物語を読んで、アダムスもハッピーエンド主義者だということが分かった。機械仕掛けの神(デウス・エキス・マキナ)を登場させてでも強引にハッピーエンドにするというのだ。「疫病犬・・・」でも、追われて海に飛び込み沖に向かって泳いでいく二匹の犬が、船に乗っていた少女に救いあげられ、実は、疫病に感染していなかった、という終わり方である。よかった、よかった、めでたし、めでたし・・・
 そこで、アンデルセン自伝を探した。岩波文庫と思っていたが、その部分がみつからない。アンデルセンはいくつかの自伝を書いているらしいのだが、狐につままれたような気がする。
 なぜ悲劇があるのか、劇場で、大きな悲劇を見ることで、日常の利害得失、浮いたり沈んだり動揺する気分、個人的悲しみが洗い流される、カタルシスだ。悲しみが大きいと、喜劇では癒されない。たとえ嫌いでも、悲劇という劇は必要なのだ。現実の生活では、ないことを祈っていても、ひとそれぞれの悲劇が追いかけてくる。
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