小説「氷点」は、キリスト教作家、三浦綾子のデビュー作である。
ヒロインの陽子は、養母から猛烈ないじめをうけて育つが、太陽のようにいじめを溶かしてしまう天分を持っている。しかし、養母から、彼女の実父が養父母にした許されぬ罪を告げられ、自殺を図る。太陽のように見えても、ただの人間として、その心が氷点に達し、凍りついてしまったのである。
ディッケンズの小説には、無垢で、どんな罪も受け付けないヒーロー(たとえば、オリバー・ツイスト)、ヒロイン(たとえば、リトル・ドリット)が登場する。陽子も、最初のうちはその同類と見えるのであるが、三浦綾子の目的は、人間の限界、つまり、氷点を描くことにあった。人間である以上、たとえ英雄のように見えても、氷点がある。神に頼りなさい。これが、キリスト教作家の伝えたいことであった。
ここで言いたいことは、その先にある。氷点のクライマックスは、自殺を図った陽子が、妹の様子に不審を抱いていた兄の手で救われる場面であるが、朝日新聞への連載を愛読していて少女が、「大人は汚い、陽子は死ぬべきだった」、と叫んで、自殺してしまったのである。なぜこうなったのだろうかと悲しむ母親からの手紙を受け取った作者は、何と返事してよいか分からない、とエッセイで述べている。
作者の意図をこえた連鎖が起きたのである。
愛読者である少女の自殺は、大人社会への抗議であった。死をもって、社会に打撃を与える、この場合、打撃を受けたのは、家族や友人、学校の範囲でしかなかったのだが。このことを知らされた作者も含むが。
しかし、陽子の自殺は、抗議ではなく、オセローのように、自身の存在自体の罪に打ちのめされた結果であった。愛読者の少女は、氷点の結末を、抗議自殺に改変したかったのであろう。
これは、読者が作者に仕掛けた謎であった。
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