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2021年09月05日14:57

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ドライブ・マイ・カーをみた感想を書く

映画館で見てきたのでネタバレありの感想を書く。
カンヌで脚本賞を取ったとの報道もあり気になっていたので見てきた。

ドライブマイカーというか女のいない男たちという短編集は既読。この本は名寄の西條にあるインドカレー屋さんで読んだのをよく記憶に残っている。自分は道北の浜頓別という地域で二年ほど勤務をしていて中頓別は隣町だ。旭川や名寄で買い物したり登山をした後に寄るのが名寄なのだ。イオンもあるしね。ドライブマイカーで中頓別の町名をポジティブではない形で出したため町議から抗議を受けそれ以降十二滝町と改名したのは村上春樹が好きな人なら誰でも知っていることだと思う。何が言いたかったというと道北に住んでいてちょうどいい感じで原作を読みましたって話です。で、ここまで書いておいて原作の話は正直あまりよく覚えてない。読後感がとても良かった、その爽快感的なものは確実に自分の中にはあるのだけど何がどうやってどこが良かったってほどには覚えてない。ここまでクドクド書いててすみません。

さて映画の感想ですが傑作だと思いますね。まずよく説明されるのが原作の小説だけではなくワーニャおじさん、ゴドーを待ちながら、や短編集「女のいない男たち」の「シェエラザード」などが出てきていて、そうじゃなきゃ3時間の映画にはなりませんよねって感じです。ちなみに「シェエラザード」も自分は覚えてません。なお、ゴドーを待ちながらもワーニャ伯父さんも見たことはありません。
自分はよくこれらのことは知りませんがそれでもこの映画の背骨として真ん中にピシッと一本の筋として通っている感じですね。

この映画は村上春樹読者ならああって思うセリフが散りばめられていて自分が忘れてしまった小説以外のところからも引いている、というか村上春樹的本質がこの映画には貫かれていると思う。広島の平和公園や記念館からの延長線上にゴミ焼却場がありその向こうが海なのだけど、海は向こうとこっちの境界。海辺のカフカでもそうだしノルウェイの森で亡くなった直子を思って渡辺くんが彼女を思って彷徨うのも海辺だ。簡単には向こうに行けないのは物理的に水があるからというのは一義的で生と死のわけ隔の象徴だ。その後話は事件が一つありドライバーの母が土砂崩れで亡くなった家に二人は向かう。コメリでジャンパーと長靴を買いフェリーに乗って北海道の二十滝村に入る。ドライバーの母に対する気持ちと主人公である西島秀俊と本当の亡くなった人たちの気持ちを吐露しあって抱き合って泣くのだ。これは死んでしまった人への本当の供養でありお別れだ。ノルウェイの森で亡くなった直子の形ばかりの葬式ではなく渡辺くんとレイコさんで直子の思い出を語りギターを弾いて本当のお葬式をしたのだけど、西島秀俊とドライバーがあそこでしたのは、ノルウェイの森の本当のお葬式の再現だ。思い出を生き残ったものが死んでしまった者のことを語り忘れないことを確かめ合い失われて失われて回復できない者のために、二度と手にすること体験できることのできないことのために、泣くのだ。物語はそのあと前に進み演劇は上演され、多分ドライバーも演出家も前に向き
に多分韓国でも演劇の活動を行うのだろう。

最後、多分、おそらくチェーホフのワーニャ伯父さんの最終幕の最後のシーンで映画が終わるのだと邪推するのだけど、大切な人が亡くなったりするんだろうけ辛いことがあってもみんな生きていきましょうってシーンで終わっていて、これが村上春樹の小説を汲んだ監督なのか脚本家なのか両方なのかわからないけど観客に向けられたメッセージです。辛いことがあっても生きていこうということを伝えたかったんですね。

舞台での台詞と同様に車の中のカセットテープに聞かれるワーニャ伯父さんのセリフが次に起きることもしくは今伝えたいことの説明になってて上手いなあと思った

岡田将生が車の中で「シェエラザード」の続きの話をするのは、岡田と西島の霧島レイカへの別れ、葬式のシーンだった。だから岡田は目を真っ赤にしてこの話を西島に共有したんだ。映画では橋は他人がお互いに歩み寄って分かり合う象徴として使われる。車の中の会話のシーンの多くは橋の上でのドライブのシーンだ。勝手に写メを撮られて頭にきて殴る岡田がそのシーンでは村上春樹の小説のような説明的端的なセリフで、ここら辺がちょっと微笑ましいですね。

この映画とは関係ないのかもしれませんが最初舞台の演出を限りなく感情を排するように求めたのは、町山智浩さんのツイッターで映画の演出における演劇性の排除のツイートを見たのでとても興味深く見ましたね。演劇的演技を排除する監督して宮崎駿やイーストウッドとか色々ツイートしていてとても参考になりました。多分本質的にこの演出方法は澤口監督も踏襲していて特に山場の冬の廃屋のシーンの西島秀俊と三浦透子の演技はその線のものでした。それは自分が色々考えさせてくれるような隙間をあえてわざと作ることができるようにしてくれたものだと自分は勝手に思ってます。

村上春樹原作の映画って、この映画を見るまではバーニングが面白かった。暗喩に満ちた映画だったと思う。ドライブマイカーは日本人による正統的な解釈によってくれたれた村上春樹映画であるなと感じた。テーマは今現在に生きる我々に対しての励ましだと個人的に思っている。

追記
自分は演劇に関しては全く疎くてゴドーを待ちながらもワーニャ伯父さんも知らないのだが今の演劇では各役者がネイティブの言語でそれぞれ国籍を問わずに集まって演技するのですかね?しかもこの映画では韓国の手話による演技もされてて、面白いなあって思った。チェーホフの戯曲のもとに国籍を問わず世界中から役者が集まって演技祭が開催されるっていい話だなと思いました。障害も言語も乗り越えて戯曲を通じて人と人の気持ちが通じ合えるようになるんですよ!
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