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2023年09月30日09:59

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旅の記8 土浦藩 土屋家の有為転変

 私は退職後の終の棲家を常磐線の土浦に決めた。土浦は東京発土浦行きもある。これ以上だと水戸発になるのでギリギリである。
 霞ケ浦の港町でもあり、駅の東側は霞ケ浦になる。
 ヨットのたまり場もあってシャレた感じがするし、今は観光用だが沖には帆引き漁の船も停泊している。

 後で知ったのだが江戸崎という古い港町もあって、そこにある屋敷は田中角栄の盟友の所有になるものだった。小佐野だったか?
 繁華街もあって、私が歩いていると、街はこちらですかと聞かれたこともあった。
 さらに東には古渡(フット)なる港があった。
 で、当時のつくば市長がつくばには古来(ふるく)がある。どちらも古代に渡ってきた人が最初に住み着いた場所だと主張していた。

 それは余談で、土屋家だった。
 家康の深謀遠慮であろう。信長が武田家を全滅させようとしたのに対し、家康は関八州を直轄領として、伊奈氏を郡代とし、水戸に御三家の一つを置いたうえで、水戸と江戸の中間に土浦藩を置いた。土屋家は武田信玄の配下だったが、武田家滅亡の後徳川家康によって土浦藩を与えられたのである。
 つまり名将信玄の戦略や戦術が欲しかったのだと思う。(三国志を統一した司馬仲達が諸葛孔明の戦略が欲しかったように。「死せる孔明、生ける仲達を走らせる」で、本人は逃げ回っていたが。だから、孔明をよく知る蜀出身の陳寿に三国志を書かせたのだろう)

 伊奈備前守は利根川本流を付け替え工事によって銚子に流すなどの大工事を指揮するなど、関東各地で水利事業を行った。玉川用水の工事もだが、実際の工事を請け負ったのが玉川兄弟とのこと。
 土浦にも備前川があるし、伊奈のついた地名がつくばの近辺に残っている。秀吉に命じられるまで関東と関係なかった家康の関東支配がうまくいったのは、秀吉には意外だったかもしれないが、縁の下の力持ちが水利の名人伊奈一族だったわけである。

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