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2023年09月27日07:59

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旅の記1 北近江 安土城から余呉の海へ

 信長の城・安土城は近江八幡のすぐ北になる。琵琶湖の港町・近江八幡は近江商人の一大拠点だったが(メンソレの近江兄弟社も)、悲劇の武将・豊臣秀次の城があった。秀吉の姉の息子で、子供が生まれなかった秀吉が後継者に指名したのだが、茶々(信長の妹お市の方と勝家の間の三人娘の長女)との間に秀頼が生まれて悲劇になった。そもそも、勝家とお市の方は秀吉に攻められて自刃していた。
 個人的には、母の祖母の出身地だったので、子供のころ母に連れられて墓参りに来たことがある。駅前は、何もない白い道があるだけだった(というように見えた)。
 その墓地というのが、墓石の並んだというものではなく、こんもりした盛り土で、当時の私よりと小さい男の子が一種に来て小さい石を拝んでいた。誰かが、お前の弟だよと言っていた。
 で、安土城だが、南の端から山を登って、頂上にある寺を過ぎると本丸跡だった。とにかく狭い。これが山城というものだったのだろう。そして本丸から降る広い石段が、大手門の道の両側に秀吉など主要な家来たちの家の後があったが、これも狭い。
 信長が安土に天皇の御所を置こうとしたとの説があるが、それは無理だろう。天皇は一人ではない。大勢の女官と公家たちを伴っているのだから。

 近江八幡は東海道線だが、米原で北陸線が分岐する。
 新聞に載っていた誰かの投稿俳句「雪に置く郵袋(ゆうたい)一つ余呉の駅」
 是非、余呉の駅を見たいと思ったのである。
 米原から北陸線の各駅列車に乗り換えてすぐの無人駅かと思ったが、女の駅員さんが一人いた。
 駅のすぐ前が余呉湖だった。北近江の琵琶湖に付属したような三方五湖の一つである。
いやに薄暗くなんだか気味が悪いのだが、秀吉と柴田勝家が戦った賤ケ岳古戦場のせいだろうか。で、長居は無用とばかり駅に戻ってさっきのおばさん駅員に新幹線を含めて東京への切符を買おうとしたのだが、いつまでも計算をしている。分からないらしい。
仕方がないので米原までにしてもらって汽車に乗った。


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