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2023年09月12日05:31

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浮世の謎(163) 友達の友達の先

 かみさんが、むかし土浦市の着付け文化教室に通っていた時のこと。
 着物がたくさんいるとこぼしていた女性の娘はマンガ家になった(ネットで調べたら岡野玲子となっていた)。
 どのような伝手があったのか、住井すゑ( 元々奈良県の人で「橋のない川」の著者だが、当時はエッセイ「牛久沼のほとり」を「暮らしの手帖」に書いていた。)に出版社を紹介してもらって、娘がマンガ家になれたとのこと。牛久沼のほとりには河童のマンガ家小川芋銭もいたが、彼は戦前の人だった。
 その後結婚した相手の男性が手塚治虫の息子さんだった。もう、手塚治虫は亡くなっていたが、いろいろな関係でパーティーが開かれ、母親は接待役に動員されるので着物が必要だったわけである。
 かみさんの場合はただの趣味だったが、着物には流行があまりないので接待役には経済的だったのだろう。
 ということで、中高一貫の学園理事夫人も着付け教室に来てかみさんの友人になった。ご自宅には竹林があって、タケノコをもらいにかみさんと行ったことがある。理事夫人の方は東京から嫁に入ったのだが、姑さんは地元の人らしく、元気に鍬を振るっていた。自家用野菜などすべて栽培するのだそうである。
 かみさんは若いころからグループサウンズやフォークソングのファンだったので、理事夫人とカラオケに行っていたのだが、私は最近になってユーチューブで歌をかけ流すことが多くなった。で、迫力ある村下孝蔵「踊り子」などが聞こえてくる。私には知らない歌手だったがかみさんに聞くと、昔、はやっていた歌手だが若く死んだと。彼の墓地がつくばと牛久の間あたりにあることを、偶然理事夫人が見つけて墓参りをしておいたと言っていたのだそうである。

 かみさんの趣味で仕事は占いだが、そのお客のことは秘密だがめったにない相談者がいた。最初は中学生くらいだったが、彼女はボルダリングの選手になって、ネットによれば天才少女とのことで、パリ五輪選手に選ばれたとのこと。

 かみさん関係ばかりだが、私の方にも誰かいないかと思い出してみた。
 そういえば友達の友達にプラントハンターとか庭園関係の著書のある人物がいた。しばらく前に、新聞の死亡記事になっていた。私より若いのだが。
 私の生家は京都の清水寺の近くだが、陶器の街でもあって清水六兵衛の暖簾のかかった家もあった。それとは別に、小さい家だがウインドウに不思議な形をした焼き物を飾っていた家があった。小学校の頃には、学校の行き帰りに、これは何だと眺めていたものだが、高校の頃だったと思うが新聞記事になっていた。八木一夫という陶器による抽象彫刻の先駆者だとのことだった。


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