昨日は、ことばは事物を冷却する云々に触れていたが、言葉足らずの気がしたので敷衍しておくことにする。モノそれ自体は怖ろしく、人間には扱いきれないほどだ。しかしことばという規範体系にてくるみとってしまうことでその怖ろしさなるものは合理化される。モノ自体の怖ろしさが理解可能の範疇へと移されるのだ。やさしくいえば距離感というところか。いろいろ知ったかぶりをしているが、ある意味でこれは、唯名論と実在論との関わりに触れているのだ。それはそれですっぱり切れてしまうのだが、そのプロセスこそ意味があるのかもしれない。
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