【又吉直樹・劇場】 増刷で話題をふりまいた「新潮」4月号掲載、又吉直樹の『劇場』をようやく読む。東京で劇作家・演出家・劇団運営を目指す「永田」と、演劇経験もあり、永田の生活を支える少女「沙希」とのボーイ・ミーツ・ガール形式、ついにはせつ
【キングコング・髑髏島の巨神】 1974年とはアメリカにとってなんだったのか。個人的には大好きなロックアーティストたちが次々に「足りないアルバム」をつくり、ロック音楽の衰退傾斜を決定づけた年だったが、むろん前年にニクソンはベトナム撤兵をう
詩の構造をかんがえるにあたり、使用されている品詞を分類するというのはたぶんただしい。吉本隆明が『言語美』のはじめのほうで、それをおこなったのも至当だった。ただし、吉本のように、品詞を「自己表出」「指示表出」、それぞれの濃淡の混淆ととらえ、
一篇の詩を作者が「完成」したと自覚するときには、ある徴候がふくまれている。「それがすべて自然な発露によっている」――これはたぶん自明に属する項目だろう。同時に、「もう削るべきところがない」――これがたぶん「完成」にまつわる特有の表情なのだ
詩集が一回性でのみ読まれることを、詩作者じしんが回避しなければならないのは、とうぜんのことがらながら、なかなかつらい仕儀とはいえる。自分自身にかんしても、寄贈されてきた詩集が一読のすえ、再読のひつようなしと判断され、部屋の隅につみあげられ
むかしカッパブックス、多胡輝の『頭の体操』にこんな命題があった。「二者のあいだで食べ物などの好物を、文句の出ないように分けるにはどうしたらいいか」。答はこうだった――「はじめにひとりが、対面する相手にどちらを選ばれても後悔のでないよう対象
本日の北海道新聞夕刊に、ぼくの連載コラム「サブカルの海、泳ぐ」が載ります。1月期のTVドラマをあつかいました。串刺しにしたのが、『パイプレイヤーズ』『カルテット』『東京タラレバ娘』。複数主役ドラマという括りです。 じつは、先月は2月11日
【ロウ・イエ監督『ブラインド・マッサージ』】 全盲者の経験している世界は健常者の想像を絶している。デリダ『盲者の記憶』にもあるが、彼らがどんな夢を見るのかさえ視覚偏重の価値観では記述不能なのだ。デリダはほかの何かの本では自己触覚が自己身体
北大大学院文学研究科では、社会人等を対象にした公開講座を例年開設していて、2017年度は5月17日〜7月19日の毎週水曜18時30分〜20時の枠組でおこなわれる(W103教室)。ぼくはなんとその第一回め、5月17日の担当をおおせつかった。
本日の朝日新聞の読書欄コラム「売れてる本」に、ぼくの書いた森見登美彦『夜行』の評が掲載されています。躍動的ファルスが代名詞だったそれまでの森見小説が一転、みごとに透明感のあるファンタジーホラーになっています。怖さは周到に配備された細部に