【ミロスラヴ・スラボシュビツキー監督『ザ・トライブ』】 去年のカンヌ映画祭で批評家を、その独創的な映画文法で驚愕させたウクライナ映画『ザ・トライブ』に心底、戦慄してしまった。形式に前例のない暴力映画といえる。わずかに、かたちはちがうがこれ
【近藤久也について 1】 初期アガンベンがその詩学=言語学で換喩とともに強調したのが、シフターだった。「こそあど」ことば、あるいは一人称からはじまり三人称におわる代名詞としてつうじょう理解されているそれは、文の連鎖(位置関係/継起)を関係
【愛が生まれた日】 最近の講義で時間論的なはなしになり、ヴィスコンティ『家族の肖像』でバート・ランカスターがつぶやくことばを紹介した。《いま「ない」ものが、かつて「あった」と、どうして信じられよう》。逆元の位置にある《いま「ある」ものが、
待望の望月遊馬さんの新詩集『水辺に透きとおっていく』(思潮社刊)がとても良く、再読をたのしんでいる。ぜんたいはぼくのみるところ、三パートに分割されている。 第一が冒頭の詩篇「ありうべき家族に宛てた手紙」で、数年の家族サーガが年と季節にまた
ぼくが顧問をつとめている北大短歌会の機関誌「北大短歌」の第三号ができました。特集は果敢にも「短歌と性愛」。座談会、論考とも充実していて、ぼくはそのなかへ「性愛的に――、初期の大辻隆弘」という文章を寄稿しました。岡井隆さんの性愛歌を前置きし
【髪】 洗い髪のずっとかわかないようなひととならんでいると庭さきの夜が良夜になったひくく這うこえがひくく這ううたへかわりどこかをぬらしたならんでいることはたがいにしずけく坐りあっておればそれでもきっと中くらいにはたかくおもわれたのだった
「実話」をもとに映画化された作品がひどく嘘臭かったら、どんな態度をとればいいのだろう。「現実」が生起する感触をおもいだし、これは「実話の殻をかぶった嘘だ」と断定、「でも実話だから」という作品側からの弁解などすべて遮断してゆけばよいのだ。じ
いま発売中の「週刊現代」の特集「もし生まれ変わったらあの女優を「妻」にしたい」にぼくの談話(電話取材によるもの)が掲載されています(北海道は発売が今日)。いろんな女優を話題にして30分ちかく喋ったのに、木村文乃ひとりだけにたいするコメントと
【「近藤久也」「柿沼徹」】 あたらしい詩論をさらに書こうとおもい、昨日からは近藤久也さんの詩集をふたたびよみはじめた。『頬のぶつぶつ』(1995、詩学社)、『伝言』(2006、思潮社)、『夜の言の葉』(2010、思潮社)、『オープン・ザ・ドア』(2014
【「永田耕衣」「松井啓子」】 「減喩」という説明しにくいものを例示解析するには詩ではやわらかい詩作者たちがいろいろ存在するが、俳句では永田耕衣がいちばん近道かもしれない。それも耕衣とくゆうの禅臭にみちた衝撃句や諧謔句ではなしに、句的均衡
【「ねこ」「けむり」】 イヌの存在は境界をつくる。とりわけフラー『ホワイト・ドッグ』やイニャリトゥ『アモーレス・ペロス』などの映画を観るとそうおもう。かたやレイシズムの狂気により訓育された攻撃犬、かたや闘犬にかりだされて目覚めた得体のし
【「すこし」「なにか」】 76年にリリースされたストーンズのアルバム『ブラック&ブルー』に、よれよれで、ときに場違いなほどロマンチックな内省もこめられ、それゆえに感涙必至となるラヴ・バラード「メモリー・モーテル」が収録されている。ミックの
【本日の北海道新聞夕刊】 本日の北海道新聞夕刊5面に、ぼくの「サブカルの海泳ぐ」連載第14回が掲載されています。今回串刺しにしたのは、エドワード・ヤン監督『恐怖分子』、ロベール・ブレッソン監督『やさしい女』、それに松井啓子さんの『くだもの
【「あおい」「ながい」】 詩文を不定にゆるがすやりかたは、つくりだせば数多くあるとおもう。まずかんがえつくのは、省略というか欠落をことばのわたりにおしこんで、多義なりあいまいなりをみちびきつつ、空間に生じた隙間のかたちを、そのまま空間に
【黒沢清メモ】 1)黒沢清の映画では行動と選択だけが中心的に転写される。 2)その行動が寓意的にもみえるように、人物からは表情や予備動作が消される。 3)世界と人間ともどもを等価にする状態として、空洞がえらばれる。そこを影のようにうごくなにものか
いちばん再読に向くジャンルが、詩集歌集句集、それと哲学書だろう。小説ではどうしても「物語」を「消費」してしまい、その感覚がのこって再読が億劫になる。細部のおもしろい作家なら数多くいるのだが。 詩論の進展をもくろんで、このところ詩集の再読を
水分を濾し体液とするのが木ならその精彩あるゆれは液体的にひかるそらと地とをつなぐものとしてかつては魚もやどらせていたのだから葉のしげりのすきに星がみえるのもうれいをかりたてる異教ではなくその夜その夜の異数にすぎない影にあって影のかおをする
【迅】 せなかにくうきをおいあるくごとにてまえをひきぬきながらくうげきをふやしていったゆっくりのなかにはやさがおくまればひかりも四方にちらばるみちと路傍にくべつのないあたりのたいらにはそらがたしかにおりていてかるさをすべってゆくそのあし