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2017年03月23日10:25

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雑感3月23日

 
詩の構造をかんがえるにあたり、使用されている品詞を分類するというのはたぶんただしい。吉本隆明が『言語美』のはじめのほうで、それをおこなったのも至当だった。ただし、吉本のように、品詞を「自己表出」「指示表出」、それぞれの濃淡の混淆ととらえ、品詞おのおのをそれなりの座標に置くだけではもはや足りないだろう。品詞間の作用性の問題が脱落しているのだ。
 
論文作法のうえでは、「AはBである」という構文が尊ばれるが、「AはBだとおもう」としるすと途端にNGとなる(指導教員のおおかたはそのように学生に示唆する)。「おもう」の媒質が書き手の脳髄だとすると、論理によけいなもの=身体が媒介され、不純が生じるとみなされるためだ。この「不純」をつきつめてゆくと、寂寥、憂鬱、不快、欣喜、瞋恚など、そこから感情がいいあてられるよすがにもなる。とうぜん感情と純粋論理は対立する。それで動詞(身体的な品詞)は論理の対立物だという短絡が生ずる。綜合すれば論文作法はたぶん繋辞以外の動詞の極力の排除、という一種の人工性に則っている。
 
品詞への注目は、この意味で対立への注目につながる。たとえば品詞間の対立は、副詞、接続詞のような非本質を除いてゆくと、畢竟、主格を形成する名詞と、その帰趨をひといきにしるす動詞、このふたつの対立となる。動詞はほんらい不明性である名詞を、時空間化しそれを実在性に向けて開放するちからがある。さらにはそうした実在性を並立させるために動詞はさらなる連携をおこなおうとして、繋辞〈である〉を除外し、世界を動態や布置の明視性に純粋にまとめあげようとする。これはみえない主格「わたし」を基軸に構文のヴァリエーションのみを展開する哲学には成立しないことがらだろう。
 
名詞には固有名詞のほか、植物名などの一般名詞、さらには代名詞などがあるが、名詞の宿命は詩では朦朧化、さらには無名化を辿ろうとするのではないか。「さみしい葬儀屋がため息をつく」という詩文の書き出しで、恣意的に喚起された「葬儀屋」という主格がダメだといまおもうのは、主格の朦朧化が構文連鎖のながれのなかで起こるのではなく、「葬儀屋」と書きつけたその場で起こってしまうためだ。運動論でとらえるなら、その場での抹消は無運動だということになり、「さみしい葬儀屋がため息をつく」という詩文の書き出しは、以後、列挙という「運動」のみしか形成できない、と容易に想像がついてしまう。
 
主格として現れたその植物が朦朧化するのは、形状、季節、場所、それをとらえる者などが徐々にあらわになって、その植物の「そのもの性」が顕著になる一方で、それが偶有化されるためだ。見えない動因は、花がむらさきだ、葉が長い、幹が鱗状だといった形容詞・形容動詞が受けもつ。このとき実際は、その植物をしめすための主格が、その植物のみならず、そのまわりを旋回してゆく。「運動」の本質がこうした旋回=気散じにあるとすると、集中化を裏打ちされた脱集中が朦朧化の引き金になるともかんがえられ、構文は列挙よりも内化された関係性を更新するという理解がえられる。身体は、気散じにこそ介入するのだ。だから詩の本質は意気阻喪だともいえる。
 
むろん動詞には顔の系列と身体の系列がある。顔の系列の動詞は感官の反映過程をしるすもので「みる」「きく」「かんじる」などがそれにあたる。これと対立するのが身体の系列の動詞「たつ」「あるく」「なでる」「すくう」などで、顔系列の動詞が志向化をしるすとすると、身体系列の動詞はそのふかい水準では脱志向化にまきこまれてしまう。「あるく」は領域をあるいているようで、実際は領域を超えてしまうか、領域になにもしるさないか、どちらかでしかない。となると、朦朧化をしるす品詞は、身体系列の動詞であって、構文はそれを中心にして、顔系列の動詞、名詞へと遡行がさらにしるされることで、全体の朦朧を達成するともいえるのではないか(レヴィナスの「実詞化」〔『実存から実存者へ』〕とは逆の論旨なのに注意)。
 
この朦朧はちかくてとおいなにかなのだ。「ちかくてとおい」ありようは、ベンヤミンならアウラの本質と喝破する。ところがもっとあやうげなものがあり、植物でならそれをたとえば「帚木=ははきぎ」と名指すことができる。それに近づいても近づいたという実感があたえられない魔法の樹。虚子《帚木に影といふものありにけり》は源氏の出典を度外視しても「ある」のおそろしい実態を剔抉したもので、この句の作者が師・子規の《鶏頭の十四五本もありぬべし》を否定(無視)しきった理由がわからない。
 
さてこれまでの論旨で重要な品詞を書き落としている。それが「格助詞」だ。虚子《帚木に影といふものありにけり》では「に」の機能が綿密に吟味されなければならない。植物をしめす名詞「帚木」にたいして格助詞「に」を後続させることで一挙にその帚木が眼前の偶有の実在なのか一般性の提起なのかが不分明にされてしまう。この「に」は、たぶん日本語以外の外国語の品詞には存在しないものだ。「に」をもって「起こし」をおこなった最短詩文が「ありにけり」の「詠嘆=過去」へと急転直下してしまうことは一種、「抒情の暴力」とよべる。「ありにけり」の日本性もなるほど凄いが、もっと戦慄すべきなのはこの「に」なのではないか。このことと、冗語とまで印象される句の全体とが相即している。
 
格助詞は配置により、構文を見た目以上の迷宮へといざなってゆく。たとえば方向をあらわす格助詞は日本語では「に」「へ」、ばあいによっては「を」などがかんがえられるが、英語のto、on、in、under、into、over、at、forなどよりも汎用的なことで、方向内実の中間域といったものまで指示してしまう。「に」は単純に対象の表面に行き届くのか、それとも「そのなかに」「そのむこうに」までもふくむのかが分明ではなく、結果「帚木」なら「帚木」を、朦朧をともなって怪物的に実在させてしまうのだ。
 
「ありにけり」という奇怪な慨嘆はなんだろう。そうつづってしまった途端、すべてを脱力させてしまう慨嘆などありうるのだろうか。詩的には最悪の「である」という繋辞にかわり、「ある」という、ただ存在だけをしめす純粋な措辞までもが、その消滅寸前をみずからに引きうける受苦として虚子の句では再組織されている。このとききえようとしているのが、句に書かれていない主格「われ」であることも自明だとおもう。
 
「ある」はハイデガー→レヴィナスの考察をもむろん参照すべきだが、レヴィナスを拡張適用するならば、顔系列の動詞と身体系列の動詞との、唯一にして純然たる混淆体としてとらえるべきなのかもしれない。あらゆる動詞は、「ある」をふくんでいる。だから詩篇最後の聯に書かれた《帰って/泣いた》も「ある/ある」の同語反復をその裏に隠している。
 
赤尾兜子の名吟には《野蒜摘み八岐に別れゆきし日も》がある(「八岐」は「やまた」と訓むが、「やちまた」の置き換えで、造語の気配がある)。ここでは末尾の「も」が慨嘆をふくんでいる。春の日に野遊びをした、その後〔われらは〕八方へ別れ、野蒜の匂いをゆびにのこし、平穏へと戻った、そのことがおもいかえされる、あの春の日はきえた、――分解すると「卒業的な」感慨が透けてみえてくるこのうつくしく憂鬱な句は、「ある」がないのにそれが伏在性としてかんじられる奇蹟めいた一句でもあった。
 
文法破壊によって、一句は全体に片言の様相にまで畸形化されている。その哀しみも充分にあるのだが、「あった」主体は、「野蒜」でもなく「〔春の〕日」でもなく、句ではあらわれていない「われら」であるのは隠れようもなく、その言い刺しの気配が悲哀をうずまかせている。だから断言+慨嘆に、迷宮が感覚できる。
 
句を補ってみよう。そこには理想的な品詞の消長がある。A「野蒜(名詞)」「を(格助詞)」「摘み(動詞連用形)」「八岐(名詞)」「に(格助詞)」「別れ(動詞連用形)」「ゆき(動詞連用形)」「し(助動詞連体形)」「日(名詞)」「も(助詞)」B「われら(代名詞)」「に(格助詞)」「あり(動詞連用形)」「き(助動詞終止形)」。句はB以下を言外に置くことでAの最終辞「も」に詠嘆の色彩をくわえたのだ。この「も」が一句を逆流する。結果、「野蒜」も「日」も「われら」もはるかに朦朧化する――死後から眺めかえしたように。しかも身体的な動詞は陥没している。なんとせつないのだろう。
 
句の全体は名詞・動詞の錯綜を、助詞があやうく支えているその様相でしかない。その様相が喘いでいる。喘ぎながら、「ある」こそが動詞の根源だということを一句は言外の域でだが、たしかにつたえている。この呼吸に、すでに赤尾兜子を死に追いやった鬱病がみえる。泣けてしょうがない。
 
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