1985年、朝の七時から授業をしていた。
9月19日、マグニチュード8.0の地震が襲ったとき、わたしは三階の教室にいた。
あまりの揺れに教室から動くことができなく、女の子たちは派手に悲鳴をあげていた。
男の子が咄嗟に、みんなで教室の真ん中で両手を握り合って輪をつくった。
もし瓦礫の下に埋まっていれば、そんな格好で見出されてひとびとの涙を誘ったかもしれない。
2017年、午後一時過ぎから授業、二階である。
再び9月19日、どうやらメキシコでは30年ごとに大地震があるらしい。
大きいのが先日にあったばかりで今後、30年はないだろうとたかをくくっていた。
だから揺れだしたときには、「おい、嘘だろ?」と思った。
でも揺れが派手、それにただの水平の揺れではなく垂直系、というか、地震波が入り乱れている感じ、これは遠くないな、やばいな、と感じた。
揺れが当分、おさまりそうもなかったので、教室を抜け出て、非常階段を駆け下りるが、もちろん足元がふらつく、まるで酔っ払いのように。
それでも、地上に達したときは、これで助かったと思った。
1985年から1年か2年して、学校の補修工事が数ヶ月かけてあり、そのあいだ、仕事は休み。
1985年には多くの建物が崩壊し、この建物もおなじ運命をたどってもすこしもおかしくはなかった。
今日も、もうすこしで崩壊の憂き目をあったかもしれない。
おなじような危うい場所で、こうして32年間を生きてきて、いったいこの時間はなんだったのだろうか、と自問した。
(もっとも、メキシコシティには、いまこの瞬間にも、埋まったり、苦しんでいるひとがすくなくないので、わたしの感慨なんて、ただのエゴイスティックなものにすぎないかもしれないが)
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