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2017年06月29日11:34

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村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)

 不条理のブンガクのノリで始まり、そんなわけもないだろうが、そのまま突っ走ってくれればいいと思った(印象批評のノリで始めてしまったが、例によって前もって無知を旨にして作品に入っていくので、まるでわたしのために綴られたかのような印象を抱けるのが嬉しい)。
 さて、良くも悪くも、この作品を読むニホン人は、自分の高校、大学時代と引き比べてしまうだろう。
 その意味で、この作品を客観的に読み込むのは容易ではない。
 ただしこの主人公(および他の人々)の挫折は、ちょっと時間軸を動かせば、いわゆる学生運動の挫折の隠喩とさえ読み取れてしまいかねず、わたしはそんなカテゴリーに属する大江健三郎の作品さえ思い浮かべてしまったほど。
 この種類のナラティヴがしばしば頼りにするイニシエーションの儀式の代わりに、ここでは過去の発掘(考古学といってもいいか)が試みられる。
 知らなかった、知らされていなかった事実の発見である。
 意外なことに、わたしたちは、自分のこと、自分のまわりのことを知らないまま生き続け、しばしば知らないまま生を終える。
 この作品の主人公は、そんな不条理に逆らったわけで、そこからこそ、この作品のブンガクが生じているともいえる。
 とはいえ、過去だけに向き合っているわけにはいかない(じっさいは、そんなひともけっこういると思われるが、わたしもふくめて)。
 この主人公は、過去を踏まえて未来を生きようとする。
 その意味では、ポジティヴな作品ともいえると思うが。
 (この感想、うねうねとのた打ち回るばかりで、けっして核心に近づこうとしないのは、いかなる理由によるのだろうか?)
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