戦後史の生き証人であった堀田善衛が戦後のさまざまな局面を語る。
しかしその語り口があまりに軽妙なので、すらすらと読み進んでしまって、はっと気がつくと、こんな読み方でいいのかと自分に戸惑ってしまう。
わたしたちの世代のまともな人なら『インドで考えたこと』に影響されなかったひとは少ないのではないだろうか。
長生きもしたし、興味の範囲も幅広く、著作もヴァラエティにとんでいる(こんなところでヴァラエティなんてことばを使ってしまっていいのか、疑問であるが)。
この本について語るべきことは、繰り返しになるがとても多い。
実家が廻船問屋であり、明治以前からウラジオストックなどとの行き来があったという。
鎖国まえから、海外に出るひとは出ていたのだ、それはたとえば鹿児島出身の宮内勝典の話を聴いていても肯ける。
スペイン・ラテンアメリカ世界についても詳しく、「ゴヤ」を読み通したことはわたしの誇りでもある(笑)。
ただし、岩波新書で『キューバ紀行』を刊行したとき、わたしの指導教官の加茂先生は、堀田がキューバを回ったときは、政府の者が付いていた、自分のときはノーマークでキューバを回っていた、とか語っていた。
つまり、この小著も、いかに読み解くかが読者に問われている。
廻船問屋の話を読みたいと思って集英社文庫に当たってみたが絶版。
わたしはたまたまチリのホルヘ・エドワーズの綴ったモンテーニュについての本を持っているので、読み比べる意味でも集英社文庫で生きているおなじくモンテーニュの堀田の本に興味を抱いたが、思っただけで終わってしまった。
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