サンタさんっていると思う?からすべての話は開始され、怖ろしいことにそこに収束していく。そんなディテールなんて人の好き嫌い程度にどうでもいいものかもしれないが、それでも引っかかりを感じてしまう。それがもし「座敷わらしっていると思う?」だったら、この作品自体のコズミックもずいぶん変わっていたのではないかと思う。
脳は物質であり、それなのに意識がある。それはおかしい、と思うならば、問題の立て方そのものを問うべきである。じつはあらゆる物質に意識があるのではないか、とか。。。
著者のお気に入りの「クオリア」なるものは、ここでは「仮想」というコンセプトに転化している。
「クオリア」そのものからして本来、奇異なものであるが、問題の立て方に工夫するならば、おどろくなかれ、ただの陳腐なものに転ずるかもしれない。
そういうダイナミックスを了解しているひとがどのくらいいるものだろうか。
残念ながら面白い本ではなかった。わたしの読み方に誤りがあるのではないかと自らに問うことを怠らなかったのだが。ただし、堂々巡りにみちていて、それ自体はよろしくないことではない。遊びというとても大事な要素であるのだから。
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