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2021年07月21日09:56

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アーサー・C.クラーク『2001年宇宙の旅』(ハヤカワ文庫SF)

 わたしたちは、極大さと極小さのあいだにて宙づりされているようなものだ(パスカルがかつて述べたように)。つまり、宇宙という極大さと、電子、素粒子などといった極小さの間ということで、この両者にはアナロジーがありえる。
(はて、このわたしたちというとき、何をさしているのだろうか。人間のみならず生物一般?または遺伝子のことだろうか)
 はたして宇宙に意志なるものは存在しえるのか。この意志なるものはおそらく「神」と同義語なのだろうか。
 なぜ宇宙は生まれたのか、つまり、なぜビッグ・バンなるものは発生したのか。いまの人間の科学ではとうてい応え得ない問題である。
 しかしこの意志なるもののコンセプトも、従来、わたしたちが考えているものとは似ても似つかないものかもしれない。
 人間の全細胞はオーナーの意志に従属しているはず。でも、結果としてどこまで従属しているかはおおいに疑問。むしろ従属してはいないのだと言い切ってしまったほうが話は早いかもしれない。
 すると、おなじく宇宙に意志が存在しえるとしても、マイティパワーではありえないかもしれない。
 では宇宙での森羅万象を司るものはだれなのか。
(仮に考えるとして、普遍法則なるものには、意志はすこしもありえないのか)
 宇宙はどこまで行っても未知のままである、というのはただしいか。
 さらに飛躍を許されるならば、宇宙は物質ではなく、精神なのではないか。
 いけない。。。このままでは、地球に帰れなくなる。。。!
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