歴史は、過去と現在との対話である、とよくいわれる。
過去は、いくらでも意味をふくらませてくる。
ただ現在の欲求、欲望に応えるだけではなく、すべては見方がどう動いてくるかにかかわっている。
つまり、たかが古新聞というなかれ、ただの記事でさえ、言葉が立ち上がってくることもあるのだ。
いまでこそ、過去の記事もネットで読めるようになったが(すべての報道機関がそういうわけではないが)、やはり紙の上の字面を追いたい。
そんなわけで、ちょっと気を抜いていると、あっというまに新聞の山ができてしまう。
それで、時々、大なたを振らなくてはならないときがあって、ちょうどいまがそれ、すると、ネットを見るのさえおろそかになってしまうほど、慌しい時期を送ることになる。
新聞なんていっそのこと、なくなってしまえばいいなんて思うこともあるが。。。あな、おそろし。。。なかったら、それこそことである。。。
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