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2015年08月11日06:05

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暴露

 
昨日は研究室で、黙々と期末提出レポートの採点をしていた。うち「国語表現法」では「奇妙な文章をピックアップして、その構造を解析してほしい」という単純な課題をだしたのだが、意外に詩のピックアップがおおく、すこしびっくりした。教員の属性が配慮されたのだろうか。
 
レポートのなかに、眼をうたぐったものがあった。すばらしい詩篇が引用されていながら、その作者につきまったく見当がつかなかったためだ。引用出典も書かれていない。それははたして詩集からのピックアップなのか。
 
作者「長谷康雄」、とレポートにはしるされている。ネット検索してみると、村野四郎主宰の同人誌「世代」で活躍したひとらしいが、経歴の詳細がわからない。詩作活動をつげる個人サイトがあって、そこでは七パートの小詩集が読めるが、それらの出来はいまひとつだ。学生が論及した詩篇もみあたらない――とおもったら、「パート6」に学生が引用した詩篇がやはりあった。
 
ほか、昭和4年生の、演歌の作詞作曲家で、みずからをゲイとカミングアウトしている同姓同名者がヒットする。このひとが詩作活動をしていて、どうもさきにのべた「世代」同人と同一人物らしい。そちら(音楽活動のほう)のサイトでは、既刊詩集として『母系家族』『人間地獄』『受難』などの書名がみえる。大阪在住のかたらしく、サイト成立の時点では矍鑠としている。
 
こちらの音楽活動サイトの印象は庶民的だが、学生が引用した詩は、まったく次元がちがう。ロマンチックで、かつ戦慄をおぼえるものだった。「すくなさ」が「かたち」をつくり、そこにあたらしい感情が炸裂する。語調にはたしかに60年代詩の趣があった。
 
【暴露】
長谷康雄
 
どこかでわたしはおまえをみた
わたしじしんさえわからない
おまえはわたしをみつめてくれない
みつめるわたしじしんさえわからない
 
どこかでわたしはおまえに会った
はまぐり貝のふたが割れて実がはみ出すような記憶
 
どこかでわたしはおまえの頬をなでた
その頬よりもやさしいてのひらで
 
どこかでわたしはおまえをみつめた
そのめからつららのようになみだが垂れて 突然 亀裂が入った
――光よ
人生は倦むのに夕陽を必要としない
 
どこかでわたしはおまえと死んだ
――長いあいだ 忘れられた
ああ しやんでりあよ
めが 耀くばかり 燻される
 

 
とりわけ最終行に震撼する。ロマンチックな詩はもう現在では機能をみとめられることがすくないが、この最終行だけでこの詩篇は詩史中の金字塔と目す価値がある。
 
いま「詩史」と書いた。それは詩壇ジャーナリズムや、詩壇一部の既得権益者が自己規定するものでもない。埋もれていた栄光をたえず掘り返し、意想外の連接をくりかえして、この「現在」へと生成をみちびきつづけるものだ。詩篇「暴露」もまた、終わることのない詩史の書きかえをせまってくる。
 
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