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2024年04月07日11:59

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読書紹介2386●「古代アメリカ文明」

●「古代アメリカ文明ーーマヤ・アテスカ・ナスカ・インカの実像」 青山和夫編 講談社現代新書 23年版 1200円
 メソアメリカ(中米)で起こったマヤ文明・アテスカ王国と、南米(ペルーを中心)のナスカ・インカ国家のアンデス文明は、世界1次文明(他の影響を受けずに誕生した文明で、メソポタミア文明や黄河文明と同じ)である。
 マヤでは文字(日本と同じ漢字のような表語文字と、仮名のような音節文字)を持っていたが、アンデスでは文字を持たなかった。その他、双方とも石器を使用し鉄(器)は使用しなかった。それでいながら、古代アメリカ文明は、前8000年頃から100種類以上の野生植物を栽培化・改良して、全世界の6割を占める食文化革命を達成していた。その主なものは、トウモロコシ、ジャガイモ、トマト、トウガラシ、カボチャ、サツマイモ、パイナップル、落花生、タバコ、ゴムなどである。
 メソアメリカでは、土器(前1900年)→公共祭祀建築→農耕定住→都市→文字という発展過程を経た。マヤ文明では、生産性の高いトウモロコシが定住を促進した。土器により、幼児や老人にも食べやすくなり、寿命ものびて人口が増加した。
 南米のアンデスでは、公共祭祀建築→農耕定住→土器→都市という過程を経た。なお前5000年頃から漁労定住が確立した。文字はない。
 メソアメリカでは、マヤ文明の起源であるオルメカ文明(前1400〜1150年)があった。そして、公共祭祀を行うなかで定住生活が確立された。都市は、先古典期後期(前350〜紀元100年)に発展し、王権の胎動期もこの先古典期後期である。更に、アステカ王国とは、3つの都市国家による支配地域の総称のことで、これは後古典期後期(紀元1200〜1521年)のものである。1521年、つまりスペインの侵略によって終焉をむかえたのだ。
 南米のナスカは、神殿・居住地・地上絵の建設活動を通じ(カワチ神殿が要)、サスカ台地の南北の集団が連帯するような社会が作られた。地上絵を見ながら歩くという行為を通じて、人間と動物の分類(人間、野生動物、家畜、半獣半人)に関する情報が社会的に共有された。文字を持たない古代ナスカの人々にとって、地上絵を見ながら歩く行為は、社会的に重要な価値観や秩序を共有し、記憶するための必要不可欠な活動だった。
 このような古代アメリカ(中米・南米ともに)では、絶対的な権力を行使する王を戴く統一国家は生まれなかったのである。大河川(ティグリス・ユーフラテスや黄河)は、アメリカ文明の発祥の必要条件ではなかった。アンデスの祭祀中心地では、文字ではなく公共祭祀建設が社会を突き動かす重要な役割を果たしつづけたのである。「四大文明」という旧大陸中心的な世界史観は、この古代アメリカ文明が解明されてきた今日、脱構築されなければならなくなったのでありました。

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