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2021年12月02日09:19

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哀悼・井川耕一郎

 
昨日、「ぴんくりんく」の太田耕耘キさんからメールがあって、映画監督・脚本家の井川耕一郎さんが肝硬変で11月25日未明に急逝されていたことを知った(葬儀はすでに近親者のみにて終了)。享年59。夭い。以来ずっと胸の潰れるような思いが続いている。家にある井川関連作品や、自分の書いたそれらの作品評に改めて触れてみようとしたが、泣いてしまいそうで、できないままだ。
     
浅蜊にしてもひよめきにしても幻肢痛にしても赤馬にしても、ことばや存在の奇妙な局所から生まれる恐怖をおもしろがる、怪談エッセイスト的な才能だった。彼の関わったものは、脚本作にしても監督作にしても、映像とイデーが絡み合って、その溶融性が、脚本家が通常志す物語結節の分離をも覆う場合があった。人体は外れ、四大はそれ自体の凶兆となる。彼の関わったものはいつも薄気味悪く、同時に本質映像的だったのだと思う。吉田健一『怪奇な話』? 大好きな才能の型だった。
     
含羞を絵に描いたような距離感を他人にもつ人だったのではないか。盟友塩田明彦の明朗さ、高橋洋の威厳と異なり、井川さんには自身の結像不能を差し出す奇妙な婉曲があった。高橋洋は大和屋竺の恐怖映画論を大向こうに発展させたが、井川耕一郎は大和屋の監督断罪論をそのまま自身に生きて、渡辺護さんなど映画監督の例外的な破天荒のみを慈しみとおした感がある。そのなかで脚本家の井川耕一郎に、監督の大工原正樹が組み合わされたことは、天の配剤、僥倖だった。終始、自主映画とピンクのあいだ、あるいは中篇の枠組から出ようとしなかった井川さんは一般的にはそれゆえマイナーだが、その奇想のゾッとする鮮やかさは永遠に語られなければならない。悲運の人ではないのだ。誰かが追悼映画祭をやり、そのシャープな評論群を、まとめる必要がある。
       
井川さんのこれ一本というのならウィキペディアに記載されていない映像論映画『伊藤大輔』をまず考える。刃先が字を書く幻惑そのものが映画だと喝破した哲学的で先鋭な作品だ。『吉田喜重の語る小津さんの映画』のような無理筋はなく、語り口に圧倒される。瞬時現れる『下郎の首』。寓意悲劇を走って生きたあの田崎潤と井川さんはまるで似てないが、もしかすると走り方だけは共通していたのかもしれない。合掌
 
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