文理学部という呼称は日本大学だけらしく、文理的思考とはいかなるものか。
それもそうだ、いまは学際的思考というノリ。
だが名は二の次でもいい、どうせこれもinterdisciplinaryの訳語なのだから。
その発想自体はずいぶんと前から、つまりわたしが学部にいたころから、そんな問題意識は巷で論議されていた。
だが話に取り上げるのは楽だが、じっさいに実践する段になると、困るひとが多いんじゃないだろうか。
早い話、立花隆も、これから必要なのは、コンピューター、英語、分子生物学、と語っているくらいである。
さて、永井均の話が聞きたかった。
しかしながらずいぶん多数のひとがこの本には加わっていて、ひとりの分量はあまりに少ない。
永井均の話も尻切れとんぼ、という印象。
現代中国の映画論はそれなりに面白い。
個人的な好みかもしれないが、理学的思考にわたしは惹きつけられた。
火山地質学やらウイスキーの物理学、ゲノム編集、植物の科学、など。
この種のアンソロジーを編むのは、とてつもなく難しそうだ。
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