近代(ブルジョア)国家が成立するとき、国家なるものは中央主権、軍、領土、法律、民族などを一律に制定する。
とりわけ国境なるものは厳格であり、欧米世界でこそ成立はするものの、非欧米社会では領土なるコンセプトは曖昧さにみちていた。
それを欧米が国境なるものを押し付け、いま現在においてさえ、非欧米社会では国境なるもののアイデンティティが確立していない。
近代ブルジョア社会においては、所有者の確定していないスペース、つまり土地というのはありえない。
古くから入り会い地やら共有地というのが伝統的な共同体には存在し、そのスペースを活用してきた。
しかしメキシコでは自由主義のフアレス大統領が先住民の共有地を没収、似通ったことは、わたしの記憶に誤りがなければ、わが明治維新後にもあったはず。
ことは陸上の土地にかぎらないことを本書によって教えられた。
ニホンが中国と、あるいは韓国ともめている小島群は、歴史的な経緯からいえばニホンに分があるとしても、古くからあまり争いを顕在化させない土地として存在してきた。
昨今は資源問題やら漁業権問題などで生臭さをおびること著しいが、めくじらをたてているだけでは、子どもの喧嘩にひとしい。
エライさんが、じゃあ、自分たちで買いますよ、などといってことを荒げてしまったのはおおいに残念。
歴史的経緯にこだわるなら、もう一歩踏み込んだ歴史事実を考慮したい(まあ、現実には覇権主義やらなんやら、けっしてシンプルに解き明かせる問題ではないと思うが)。
ということで、本書から学んだ、考えさせられたことは多いが、そんなことも改めて考えることになった。
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