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2017年12月15日11:52

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鈴木一平・灰と家

 
【鈴木一平『灰と家』】
 
鈴木一平は想像力の区分ではコラージュ型の詩作者だ。通常、コラージュは外在領域から収集されたものの選択、配置換え、一堂化、美術化といった方法を透視させるが、彼のばあいはそうではない。ありうべき自己組成をコラージュによって別の組成へと内在的に変貌させ、ときにそれが脱臼にまでおよぶ過激さを呈する。しかもその過激さが静謐にかんじられることが彼の得難い個性なのだとおもう。かたわらで、そうした自己変貌をくみこむ詩作に、冷徹なアルゴリズムが介入している感触もある。だからそのコラージュ≒モンタージュは「編集」というもうひとつの字義に合致するだろう。
 
一九九一年、宮城県生。実家の立地にもよるのだろうが、自然景物がよく詩の細部に登場するのは、彼の成熟(老成)した句眼も経由されているためだ。個性は多元的。彼の第一詩集『灰と家』(いぬのせなか座)は二〇一七年度、諸家からの讃辞をあつめたが、これらのことがほぼ指摘されていない点におどろく。「見開き単位」を一篇掲載の基準とし、そこに縦書き、横書きの変化を顕在化させる詩集レイアウトも、鈴木一平の詩法のふくざつさと同期している。
 
鈴木一平は「同時に」、減喩詩、俳句、日記記述(小説の亜種)、実験詩の達人で、それらの優位性からなにが選択されるかが、各詩篇の方法的錯綜、詩的内在の材料となる。抽象的な指摘を控え、具体に就いてゆこう。詩篇「岸辺の木」の、縦組みになっている前半二聯分を引く。論議のため、詩行冒頭に数字をふる点、ご了承ねがいたい――
 
1 引っ越した町の、うす青い空の日差しで
2 水面をとりもどす雲に、細かく映ったとおくの小屋は
3 遅れてやってくる
4 木の高さで枝がゆれたあと、すこし遅れた時間にも
5 なじむよう、ここに届くまでの時間をまねて
6 雲のうしろを抜けたあと
7 目の高さまで届けられた木が、話しかけてくる
 
8 さっき川べりの土手にはこんで、乾かしたはずの木陰が
9 また落ちていて、木の高さほどの日だまりに
10 かど部屋の、山茶花のなかに
11 あらわれる野を横切る雲が、景色は
12 しずかに厚くなる、いまは見えないところまで
13 目の高さを乗せた木は
14 それが倒れこむ土砂の影だったと気づく
 
同語反復が多い点から貞久秀紀の詩が、了解が遅延し、書かれてあることの時間経緯に注意がおよび、把握にかならず遡及行為がはいる点からは江代充の詩が、おもわれてしまう。精確の魔により再帰性が冗語感をともなって現出しているのではないかと。叙述が基準となるだけで、文字として現れていない世界観との交錯、干渉がないのだから、詩中に暗喩がないといえる。欠落があるようにもおもえ、その穴をめぐって読みがゆれる。それで減喩詩のたたずまいまでかんじるのだが、仔細に行をたどりなおせば、語やフレーズが自己内で交換されているのではないかというそれじたい正当な読み筋が生じてくる。
 
1行目「うす青い空の日差し」の「うす青い」が「空」に懸かるのか「日差し」に懸かるのか不分明な点が実際は不穏なのだが、雲が厚いか、薄明時刻なのかどちらかだとあいまいに情景がイメージされ、とりあえずは書かれだしたものが了解されてしまうだろう。しずかな異変をつげるのは、それ以降だ。
 
2行目「水面をとりもどす雲」が躓きの石となる。雨気をはらんだ雲ということかもしれないが、ひとは雲に「面」を感覚しない。それは不定形だし、表面を欠いた奥行きであることが多い。それで「雲が水面をとりもどす」では周到に意味形成が排除されることになる。その他、2行目を分解的に読めば、以下のような意味の関係項が畳まれていることがわかる。「日差しにより雲が水面をとりもどす」「雲にとおくの小屋(の像)が映っている」「その小屋の映りは、(なにかに)遅れて現れている(隠れているわたし、そのあゆみにだろうか)」。これら自体はうつくしい把握やイメージ提示に一見おもえるが、すべて物理法則、気象法則から外れているために、読者はイメージに脱イメージを、意味に脱意味を「同時に」つかまされて、読みが確定できない中途性のなかに置かれる。
 
やがて関係項がおかしく、それらが読みの可能性のなかで是正されれば一連が可読的になるだろうという判断がうまれる。「映る」のは「雲に」ではなく「水面に」だ、「うす青い」のは日差しではなく雲だ、ととらえなおされるようなもろもろだ。それで鈴木の詩的記述は内部入れ替えによって、その1行目から3行目までがたとえばこう書き直されるだろう。
 
《〔よわい〕日差しによってうす青い雲のした、引っ越した町があり/〔風が落ち着き〕〔ながれがゆるやかになって〕〔川の〕水面に/雲が〔ぼんやりと〕映る〔その気づきへと〕/〔わたしのあゆみが〕遅れてやってくる/〔目路にはいってくるのは〕〔わたしのむかう〕とおくの小屋だが/〔それはとおくあり、角度もちがうので〕〔川面には映らない〕》。
 
掲出した詩篇を確認していただければわかるだろうが、鈴木一平の詩行は音韻が抜群に良い。しかし意味が脱臼する。しかも読者は音韻の信憑によって補正をおこない、ありうべき理路を予感する。そうなって、詩が「音韻」「脱臼」「補正された理路」を同時に読まれることになってしまう。あるいは単純な読解ではなく「読解可能性」を再帰的に読解することへみちびかれる。ひとつとは複数のことだ――そんな信念が鈴木一平にはあるのではないか。
 
4行目から7行目。つかめないのは「木の高さで枝がゆれる」「時間にもなじむ」「時間をまねて」「雲のうしろを抜けた」などの措辞だろう。それらが物理法則に合致しているのか反しているのかさえ自明ではない。たとえば「木の高さで」の限定は精確性の付与のようにおもえながら、むしろ具体的なありようを混乱させてしまう。「木の高さ」「目の高さ」、「時間になじむ」「時間をまねる」が対比されているようにおもえる。「まねる」は江代充や高木敏次がその驚異的な用法を定着した動詞だ。また「目の高さ」は通常は地平線、水平線などにたいしてもちいられる。これらを綜合的に勘案し、さきと同様に正当な理路を再編すると、どうなるだろうか。冗長をおそれずにやってみよう。綴られることは記述の穴のまわりをたよりなげに周回する、減喩にたいする態度となってゆく――
 
《〔木がその全体でゆれるのなら〕〔木は〕木の高さで枝がゆれる、/〔そう形容できるが、〕〔枝の高さが木の高さとそのまま認知できるかはわからず〕/ゆれたあと〔風がおさまって〕〔その場所にわたしは〕遅れてやってきて/〔それまでのあゆみを〕〔いまのあゆみと〕なじむよう/ここに届くまでの時間をまねて/〔自分のぜんたいを時間とかわらないものにすると〕/〔浮遊をえたのか〕〔ひとつの離魂となったわたしは〕雲のうしろに抜け/そのあと〔浮上したわたしの〕目の高さ、〔地平に先端をしるす〕木が、話しかけてくる/〔そうおもうのは〕〔時間になじみ〕〔時間をまねる〕〔わたしの遅れが奏効したからで〕/〔いつしか親しみやすく、木の高さと目の高さもおなじになった〕》。
 
聯がかわって8行目から12行目の途中まで。しずかだが不穏な意味脱臼をしるしている措辞(関係)をまず摘出してゆく。「木陰を土手にはこぶ」「木陰をかわかす」「かど部屋の(なかにある)山茶花」「山茶花のなかにあらわれる野」。これら了解不能性と同時に、すでにみた一聯中の語句との照応が起こり(「水面」→「川べり」、「とおくの小屋」→「かど部屋」)、詩世界が収束にむかう気配もある。
 
《〔わたしも雨にうたれ〕〔ぬれたほか自分のいた木陰のくらさを〕〔おのがからだにのこしていたのだが〕/〔それを〕さっき川べりの土手にはこんで、〔からだにのこっている〕木陰を乾かしたはずだったが/木陰は〔わたしをはなれ〕まだ土手に落ちていて/〔それが反映の法則なのだろうか〕日だまりは〔眼下のみならずとおくへものび〕/〔想像かもしれないが〕〔めざすとおくの小屋の〕かど部屋の〔窓にも庭の〕山茶花が映り/〔とおくというものを入れ子するように〕/〔山茶花の蘂に〕野趣のあらわれるいっぽうで/〔その背後には〕雲が横切り/景色はしずかに厚くなる、》。
 
場所にたいするからだのさみしさが揺曳しているのは事実だ。だが、詩篇はそうした抒情の枠に安閑とおさまる決着をきらう。12行目の途中から最終14行目にぶっきらぼうに難読性がころがっている。奇妙なのは「目の高さを乗せた木」「木が倒れこむ」「それ〔の指示対象〕」「木は土砂の影だった」など。ここからは理路への補正にかかわる自信が喪失してゆく。どう読むかゆれるどころか、わからなさで途方にくれるというにちかい。渡りかかった舟なので、とりあえず試行を完遂させる。
 
《目の高さ、〔地平線のとおさを〕乗せて〔とおくにある〕木は/いまは見えないところ〔にあるといってよく〕/それ〔自身のたかさをうしない〕倒れこむ〔ようにおもえたとするなら〕/〔もともと木とは〕〔くずれる〕土砂の影〔にひとしい〕/〔そうわたしも〕気づくのだが、〔思いの材料となった土砂は〕〔さっきの川べりの土手にあった〕》。
 
鈴木一平が一筋縄ではゆかない、これを立証するだけでこれだけの字数をついやしてしまう。ほかのすばらしい収録詩篇でもそれはかわらない。配置替えという要素を除いても、上記が論脈を補ったように、鈴木一平の詩的組成はあきらかに「足りない」。彼もまた、「すくなさ」を書いているのだ。それでは詩集の中枢を形成する「日記 1991.7―2016.7」はどうか。これも日誌的記述に俳句が複合されただけ、日誌と俳句をべつべつにとらえれば済むという「一筋縄」で対処することができない。俳句が達意なほか、日記と俳句もふくざつに反映しあう。それらはやはりコラージュの切片で、反映の実験がおこなわれているとよく、抒情性に法悦しても素朴な読みが峻拒される。
 
しかも日記的記述も可読性がたかいようにおもわれながら、その存続を脱臼する機能が仕込まれている。ひとつは掌篇小説的な意外性の展開が事実以上の作為をときにかんじさせることだ。カフカ的におもしろいパートが多々ある。「三浦さん」との交情を中心に時系列で加算されていった外見をもつ青春の日々の記載も、その死の到来で頂点を迎えるが、九一頁、《駅前を歩いていると、横断歩道の向こうに三浦さんがいた。》の記述を不意にぶつけられる。「幽霊」なのか。もしかすると時系列編集とおもわれた日記的記載の連鎖に、時間軸のくるったコラージュ=編集が介在しているのではないか。一切を素朴に読みすぎたのではないか。
 
日記の副題部分は日付で、前述のように「1991.7―2016.7」となっている。これも奇異だ。学籍中の鈴木の日常を綴ったと括られる日記的列挙、その起点が鈴木の生年にまで遡行しているのだ(なお、日記の創造的活用は江代充『黒球』に先例がある――そこでは日付が予想不能に錯綜する章展開がある)。とりあえず俳句と日記的記載の「反映」を、俳句+日記のいくつかから拾ってゆく。詩集レイアウトでは大きめの字の俳句の「傘」のしたに日記が収まっているがその体裁の再現は無理なので、「俳句」→「日記」と、横にひろげるように空間翻訳する。ただしキリがないので、例証は五つに限定する。このキリのなさはなにか――詩集『灰の家』には細部があるが、静謐ながら全体が歪像にのっていて、形式ではなく内実の全体を名指すことができないのだ。これを、全体=「全体の不可能」と換言してもいい。
 
日暮れかと薄く牡丹に帰る人
 
母親から写真が送られてくる。狸が、家の庭に咲いている花のにおいを嗅いでいる写真。むかし、裏山にある離れでありじごくを捕まえていると、花の繁みのあいだから、鹿があらわれた。鹿はこちらをじっと見たまま動かなかったが、ふいに、跳ねるように逃げていった。
 
掲出句は自己破砕の寸前だ。それでもある生き方をにじませている。薔薇とはちがう牡丹の東洋的な威容とはなやかさは日中ではつよすぎる。それが「日暮れ」になると弱体化し、それで牡丹(の牡丹的稠密に)人は「帰る」ことができる。それには日々を循環づける「日暮れ」、その時刻の認証と体感が必須なのだ。仮定により、うごく。仮定によって「帰る」。かんじられる「生き方」とはそのようなものだろう。中七あたまの「薄く」の斡旋に動悸する。
 
俳句には「花に隣すること」のしずかな昂奮が底流している。母親がケータイで添付メールした写真ではその当事者が狸になり、それを契機に実家での記憶がさらによみがえってくる。蜂や蝶の昆虫ではなく、動物が花を嗅ぐ生々しさ。花は性器化される。花の繁みのあいだにかつてみた鹿もよみがえる。それは対峙のあと消えていったが、自他を介在する花こそが緊張要素だった。出現の本当とは、「花に隣すること」なのではないか。俳句と日記的記述を複合すると、照応要素として現れるのはこのような直観だろう。
 
 人来れば頭〔こうべ〕を少し上げる柿
 
会社を出て、家の前まで来て、鍵をなくしたことに気がつく。定期入れの内側のスリットに家の鍵を入れているので、定期入れを取り出すたびに、落とさないように注意している。大家にはだまって鍵を替えたので、お願いできず、いくら探しても見つからないので、前にいっしょに住んでいた人を呼ぶ。部屋に入ると、いつも鍵を入れている木の器に、鍵が入っていておどろく。
 
日記記載は鍵の紛失、解決にいたったその帰趨についてだが、論理的には奇妙だ。扉は施錠されていて、その扉のなかの世界に、鍵はのこったままだったと語られている。定期入れのスリットから落ちたのだろう、とそれらしい前提がしめされ、しかも鍵は無断でかえられたため大家の開錠その他がありえないという。「前にいっしょに住んでいた人」が曲者だ。こう書かれると、男性のルームシェア・パートナーよりも、恋人で、かつて同棲していた女性が想起されてしまう。その「彼女」だけが鍵のトリックを実行できる位置にいるのだが、記載はそれを問わない。ただ「彼女」のふくみが立体性をおびて日記中に揺曳している。
 
順序が逆になったが、俳句のほうはどうか。自分の迂闊さを告白すると、ぼくは鈴木を、当初、詩篇等に現れる「熊」「鹿」「雪」などのディテールから北海道を故郷にもつ、と誤解していた(前述のように出身は宮城県だった)。ちなみに柿は本土が北限地で、道内には柿の植生がない。だから句中の柿はフェイクで、それが日記的記載と「照応」しているのではないかと邪推したのだ。その条件がないと、日記主体のアパートを、久しぶりにかつての恋人が来訪したのを、大家が植えた庭木の柿、その実が歓迎したというだけの照応となる。だがはたしてそうか。
 
日記中に書かれていることからかつての恋人への疑念がうすくにじんでくる。このうすいにじみが、ひとの来訪にあたっての柿の応接態度にもある。それらはともに「事実」ではなく、「そうおもえる」ことの現れにすぎない。それにしても句の初五「人来れば」の「来る」のふしぎさ。「行く」の別離感にたいし、「来る」はいつも再訪の様相をおびて、しかも目的地が「自分の場所」になるのだ。その「来る」をしたのは、はたして元・恋人だろうか。うしなわれたとおもった「鍵」こそがそれをしたのではないのか。
 
 降りる駅に乗る足渡り鳥の声
 
仕事おわりに、喫茶店で本を読む。家で飼っていたねこが死んだと、母親から電話がくる。高校生のとき、父親が消防署の駐車場で拾ってきた。夏に帰省したときは、ほとんどなにも食べなくなって、がりがりに痩せていた。柱に体をかたむけて、ずり落ちながら横になった。電車をおりて、ホームを歩いていると、窓にちいさなヒビが入った車両を見つける。よく見ると、頭を窓に押しつけて寝ていた人のつむじだった。
 
句にある歩廊は渡り鳥の声がする点から、作者の生地に所在しているのかもしれない。句は車輛に下車するひと、乗車するひとの交錯を主題にしていて(乗車するひとは足だけの換喩性でとらえられる)、それが日記中の「ねこの死」の反映をうけると、死ぬひと、うまれることのこの世での交錯へと拡大する。それを、移動を本質とした渡り鳥、その声が荘厳している気色。しかも下車・乗車では前者が先行する。しなければならない。となればひと=ものの死のあとに、べつのものの次なる生誕が訪れるのがこの世の法則なのだ。とはいえそれらは円滑につながれる。このことの提示のために、句切れをもうろうにする「渡り/鳥」の句跨りが動員されている。
 
日記中では、動作が転移する。衰弱したねこは、作者の帰省中、平衡感覚のよわまるからだを柱にあずけたが、そこから滑るような横臥をしいられた。句の「駅」を反映されて日記記述も東京のどこかの歩廊へとジャンプ・カットされるが、ねこのあわれをさそう動きは、車中の座席にすわり、反り返って後頭部を背後の窓にあずけ、ふかくねむるひとの「ずり落ちない」姿勢に転位する。ただし頭頂ちかくがつよく窓を圧迫して毛髪がよじれ地肌がひろがっている。それを日記主体は最初、ガラス側に生じた「ヒビ」とみたが、論理がそれをねむるひとの「つむじ」と訂正した。ところがねこの死は「ヒビ」なのだ。だとすれば車輛の昇降、その交錯も時間軸上にヒビをつくるのではないか。照応はこのように領域拡大をしてゆく。
 
眠る目を指で開けば冬の井戸
 
マクドナルドでコーヒーを飲みながら、三時間ほど本を読んでいると、三浦さんがやってくる。三浦さんとビールを飲む。小さい頃は見た夢を一日中おぼえていて、夢のなかで自分が取った行動を反省したり、あたらしい細部をおもいだしたりできたのに、さいきんは夢を見ても一瞬で忘れてしまうと話をすると、三浦さんが、酒を飲んで寝るから、夢のなかでも酔っぱらっているんじゃないか、といった。
 
日記部では、夢をみること、それを記憶していることにかかわる見解が、三浦さんとのやりとりをつうじて綴られている。「コーヒー」「ビール」「酒」というふうに液体の連接がある。やがて寝酒が夢の生じる部分に就眠中浸潤してきて、夢それじたいの酩酊が、寝る者に意識や記憶をあたえないのではないかという「三浦さん」の冗談ともつかぬ物言いが結論となる。このとき就眠と夢の関係が、中心に不可能を刻印された入れ子となるだろう。
 
俳句のほうは「眠る目」が一見、斡旋の失敗におもえる。「閉じる目」としたほうが穏当だろう。そうでないと、就寝中の他者の瞼をこじ開けたら、みえた目に冬の井戸を聯想した、というような異様な誤読をまねきかねない。むろん「存在の感触として」ひらいてはいてもねむっているような「自分の目」を自ら指でこじあけると、冬の井戸がみえ、自分の目も冬の井戸だった、という句内の「照応」が眼目になっている。入れ子の奥にある「井戸水」が、夢を展開させる基底材として、日記記述の「酒」と照応するのだ。ひとは内側をもつ。夢がその証左だ。世界も内側をもつ。井戸がその兆候だろう。だから冬にも内側がある。
 
稲刈れば身の透きとおる夕べかな
 
高校の同級生の家の稲刈りを手伝う。大学の授業について聞かれて、今年はほとんど出席していない、年間で八単位取れればいいほうだと答えて、怒られる。夜、酒を飲む。布団の代わりに鹿の着ぐるみを着て寝る。翌朝、ちかくで火事があり、そこに住んでいた人が行方不明になる。
 
句は永田耕衣《夢の世に葱を作りて寂しさよ》ほどのおおきい句格と一見おもえる。鈴木の作句の古典性とは、切れ字使用が多いことだ。ところが淡さ、はるかさ、抒情の印象をあたえる措辞「身の透きとおる」が、対置された日記文により、ふくざつな干渉をうける。
 
おそらく宮城の農村では、田植え講があるように稲刈り講というべきものもあるのかもしれない。手伝い作業が無事終わり、高校の同級生の家での祝宴酒席となる。そのさいバイトと詩作に明け暮れ、学業がおろそかになっている日記主体が叱られた。善意と常識からの諫め、それは友だちの父親によってなされたのではないか。ところが日記主体にとっておそらくその生き方は「市隠」の状態を提示しているのだ。
 
それは具体性に転位する。一泊のさい、借り受けた柔らかく温かい素材の鹿の着ぐるみをパジャマ、寝袋代わりに身に帯びる。顔だけくりぬかれ、あとは全身をつなぎで包まれているそのありようもまた「市隠」といえる。知力を磨くために市中に隠れている侠者は世にいるものだ。だが、「隠れ」はそれだけではない。ニュース報道では失火した家の行方不明者を、いまは「連絡がとれないでいます」といい、焼死のむごいイメージを払拭させるのが通例になっているが、身元確認手前のその状態もまた「市隠」といえる。句中の「身の透きとおる」には、すがすがしくほこらしい達成途上性以上に、「市隠」の様相のふくざつさが「逆反映」されることになる。それは永田耕衣的な名句性を、自身が矮小化してゆく反動をもおもわせる。鈴木一平は「したり顔」の単調ではなく、自壊をアルゴリズムに組みこんでいるのだ。
 
先に書いたが、魅力的なディテールに即してゆくとキリがない。このキリのなさが詩集『灰と家』の再読誘惑性を組織する。読んでも読んでも足らぬもの。逃げ水のようにその全体があるのだった。
 
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