オノ・ヨーコの展示の入り口には、希望の樹なるものがあって、各自が綴ったものを樹に結びつけることができるようになっていた。
わたしたちニホン人はとっさに、神社の入り口の、おみくじを結びつける樹を思い描いてしまう(おみくじなんてひいたことないけど)。七夕にも似ているかもしれないが。
手前には「平和」なんてのも吊るしてあった。
各人が主体的に、希望を、願いを抱くことはわるいことではないはず。
悪くいっても、枯れ木も山のにぎわい、というところだろうか。
もちろん、これも広い意味ではインスタレーションに入るだろう、主体を明らかにする装置、ということで。
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