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2021年03月25日09:41

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かけら世の・オビと造本

 
帷子耀.さんはオビ文を草するのはこれが最初で最後と言明している。そうなるとさらに、嬉しいオビ文を頂戴したありがたさを噛み締めなければならない。
  
帷子さんはオビ文で、本書三部構成中の真ん中「かけら世の」の最終詩篇「あまねい」に焦点を当てた。換喩でのズレが悲哀に代表される情感領域に入ること、普遍性をもって対象を称賛する評定がこれまた悲哀を掴まされること、これらを主題にした大切な詩篇だった。そこに実は《あまねいとはしるせなかった/かなしいとだから換喩しただけだ》という結句がある。
    
帷子さんはそこから「カナシイカ」という鍵語を創造する。「悲しいか」という感情語と、ひらがなの多いぼくの詩の総称「仮名詩歌」との掛詞。この「カナシイカ」の二つの「カ」音を中心に、「カけら世の」「カしょう」「カたびら」のカ音連鎖が組織され、詩花〔しいか〕という美しい造語の幻がゆれる。帷子さんのオビ文は鋭い指摘でありながら、自らとこの詩集の作者をともに列聖しようとして抱えた困難をも表象しているのではないか。
  
オビ裏の詩集収録詩篇「一会のなかみ」の抜き出しは造本・装幀の稲川方人さんの選定によった。ひらがなの多いぼくの詩だが、オールひらがなの詩篇は詩集中これしかない。それを稲川さんが選んだのは、帷子さんの「仮名詩歌」の中心を抜擢しようとしたためだろう。「自らとこの詩集の作者をともに列聖しようとして抱えた困難」も帷子さんと共有している。この詩集で、詩集タイトルのみをマジェンタ系の特色で刷り、しかもオビを表紙カバーの用紙と揃えて迷彩化するというのは、稲川さんのかつての詩集『聖−歌章』とおなじなのだ。『聖−歌章』は「カショウ」の音をふくみ、より茶色がかっているが『かけら世の』の小豆色の厚紙カバー・オビと似た印象のカバー・オビを使い、判型もおなじだという点は、ふたつを並べてみれば気づかれるだろう。
   
北海道の響文社とぼく、東京の稲川さんとの装幀交渉は、主にメールとPDFゲラ添付を通じてなされた。やがてはゲラ現物の郵送がそこに加わる。一人称を「稲川」としるす稲川さんのメール文の簡潔なスタイルの恰好良さはその組版哲学部分をいずれ紹介しても良いが、デザインと校正が完了した段階で、本文とカバーの用紙選択は自分に一任してほしいと稲川さんから申し出があった。それまでのPDFの表紙案から全体は白っぽくなると予想していた。稲川さんの最近の装幀造本では大好きだった瀬戸夏子さんの『現実のクリストファー・ロビン』をなんとなくイメージしていたのだ。
   
ところが遂に現物が届いてみると、カバーとオビはややくすんだ小豆色、しかも本文用紙が藁半紙色のぼてっとした厚紙系統になっている。自然回帰、老人趣味、古色、低徊、地方出版などの意味合いが着きすぎるのではないかと危惧した。なによりも他の新刊と並ぶと古書のようにみえる遜色があるのではないか。
    
だが手に持つと、やがて稲川さんの意図が伝わってくる。収録詩篇の特質と相俟って、やわらかく馴染むのだ。稲川さんは本の「自体性」のみを考究して、この本を造本したのだと理解がおよんだ
 
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